額面通りにも極端にも加担しない
現代ではいたるところに統計数字があふれている。病院に行くと血液検査の結果が多くは数字で示される。私の血管の中には数字が流れているのかと思うほどである。患者はそれを見て一喜一憂するが、実質的な意味はよくわからない。CTの画像は人体を小さな立方体の集合と見なして、そのそれぞれのX線吸収度を測っている数字の集団である。それを画像に変えてある。数字のままでは医師にもなにがなんだかわからないに違いない。こうした測定値と統計は切っても切れない縁がある。人体に限らず、社会のもろもろの問題も統計数字で示されることが多い。本書はそこで生じる問題を英国社会の例で丁寧に吟味したものである。著者は英国議会・下院図書館に所属する統計学者なので、与野党の議員から統計を求められることが多い。本書はその経験をもとにしたもので、統計そのものの理論は扱っていない。むしろ社会政策などに応用される統計数字の一般的な問題点を考察する。イギリスなので前半では人口の把握の問題、後半ではEU離脱に関する世論調査が多く扱われる。全体としては統計に関する常識の検討といってもいいであろう。
日本の場合、最近ではGDPがドイツに抜かれて世界四位になったという新聞報道があった。評者は経済音痴で、これが何を意味するのか、よくわからない。GDPとは国民全体の経済活動の成果を示す指標らしいくらいはわかっている。ここ三十年、それが日本ではほとんど増えていないことも知らされている。これはまさに脱成長で、環境問題を配慮すれば、もしかして世界が目指しているのは、そういう状況ではないのか。それなら日本国は国際的に表彰されてもいいわけだが、そういう論調を目にすることはほとんどない。
これは統計の解釈の例だが、著者が指摘する英国の例はもっと具体的である。細かい問題といってもいい。GDPの場合も国によって測り方が違う可能性が高いので、国際比較に意味があるか、という疑問も本書に呈示されている。
全体は七章に分けられるが、各章が独立した主題を扱うのではなく、著者の経験した事例がいわばバラバラに組み込まれた議論になっている。グッドデータとバッドデータ、質問する、概念、変化、データなし、モデル、不確かさなどのまとめ方がなされているが、要は社会政策に統計を利用する場合の統計リテラシーを教えてくれている、とまとめてよいかもしれない。著者の立場はまさに経験主義的であって、「『あらゆる統計データをはねつける』、または『すべて額面どおりに受け入れる』という、両極端な策のどちらかを選ばなければならないという事態に追い込まれてはならない」という著者の表現でもわかるように、ごく常識的で理性的な立場を崩さない。こうした立ち位置は何事も「いいね」で決める現代の人たちには面倒くさく思われるかもしれないが、複雑な問題は複雑なのであって、それをわかりやすく単純化することを求めると、フェイクニュースのような典型的な現代の嘘を導くことになろう。
読了して、英国風の大人の思考とはこれか、としみじみ感じた。話は快刀乱麻とはいかないが、じつは現実とはこういう厄介なものなのであろう。