橋本流の逸脱、脱臼、余談の戦後史小説
二段組1200頁(ページ)強の長編小説であり、100頁に及ぶ詳細な「人名地名その他ウソ八百辞典」なる註(ちゅう)があり、その上、著者による「人工島戦記地図」が別冊付録としてつく、前代未聞の大著である。書き始められたのは、1993年。一部が雑誌連載されたが、その後は加筆修正が続けられ、2005年くらいまでには現在本になったほどのボリュームが書きあがっていたという。目次だけは最終章まであるが、19年の著者の急逝によって、未完となった。
巻末「第じゅー部」のラストは「第五千八百七十二章」で、これはさすがに冗談かとも思うが(書かれているのは「第ろく部」の「第二百四十章」まで)、既存の原稿とペースを同じくして「第じゅー部」に至るならば、おおまかに考えて、倍近い量の原稿がこれから書かれる予定だったと推測される。もちろん、それではとても終わりそうになかったのかもしれないが。
未完とはいえ、この大作は、著者が渾身の力を込めて書き残した壮大な戦後史小説であり、いまを生きるわたしたちにとって重要な問題が書かれている。
首都東京から遠く離れた架空の地域「千州」、「比良野市」(九州、博多がモデルとも言われる)にある、国立千州大学の学生であるテツオは、友人のキイチの部屋でテレビを観ながら、「こんなのいらねーよなー」と思う。こんなのとは、市長の辰巻竜一郎が旗を振る、志附子湾の四分の一を埋め立てる「人工島計画」だ。生息地を失う野鳥のために反対を訴える市民の存在はあり、テツオの母ヨシミがまさにその反対派なのだが、テツオの反対理由は環境保護ではなかった。「発展と繁殖」を望み、「海を埋め立ててオシャレなもんを作る」という昭和30年代の高度経済成長期からバブル期に至るまで一貫している「オヤジ」的感覚で事業を推進する市長・辰巻竜一郎の発想が、なんともいえず「ダサ」く感じられたからなのである。
そう、時は93年。バブルは2年前に崩壊している。
やがてテツオとキイチは、辰巻の掲げる「人工島計画の四つの柱」である建設目標、1港 2道路 3住宅 4研究学園都市の、いずれもが、かなりアバウトで必要なさそうなものだと、嗅ぎつける。そして、千州大学学生有志による「人工島反対」運動が、「あるいは、ふしぎとぼくらはなにをしたらよいかのこども百科」(本書のサブタイトル)的に右往左往しながらも、産声を上げる。
この小説の骨子は、政治のことを何も知らない大学生が、デモのやり方を学び実践するに至るまでの物語、なのであるらしい。著者は実に懇切丁寧に、20歳そこそこの主人公たちに、デモのやり方を体得させるべく指南する。著者若かりし60年代には日常的にあったのに、この小説が書かれた93年から05年という時期は、学生によるデモは、ほとんど見られなくなっていたはずだ。
その運動形態が再び注目されるのは、11年の東日本大震災の後の反原発デモまで待たなければならなかったし、学生の運動と考えると15年の自由と民主主義のための学生緊急行動(SEALDs)か、その前身、特定秘密保護法に反対する学生有志の会(SASPL)が登場する13年ということになるだろう。橋本治は、学生運動が存在しなかった時代に、その可能性を問おうとしたのである。
しかしまた『人工島戦記』は、学生運動の物語とくくるには、巨大すぎる結構をしている。
むしろこの小説は、なぜ「オヤジ」たちは「オヤジ」なのか。「オヤジ」とは何者か。なぜ学生運動は挫折したまま存在自体も忘れられたのか。戦後の日本は何を目指し、何を失ったのかといったテーマを思索する。
もっとも痛烈に響いてくるのは、こんな指摘かもしれない。この国は、バブルがはじけた時点で方向転換すべきだったのに、なぜできなかったのか。なぜいつまでも「オヤジ」発想で、「発展と繁殖」を目指しているのか。「人工島」は容易に「東京オリンピック」や「大阪万博」や「カジノ構想」等々と置き換え可能で、30年前に構想されたとは思えないほどアクチュアルだ。
そしてそれが全編、橋本流の逸脱、脱臼、余談、笑いとともに描かれる。時に自分の小説作法を揶揄もする作者の筆は、おバカな大学生たちのリビドーの行方やら、その父たちの学生運動の彷徨(ほうこう)と当時の日本の空気やら、祖父たちの戦後やら、80年代のフェミニズムやら、幕藩時代の平野藩政にも及ぶ。あらゆることを、橋本治は書いた。書こうとした。
登場人物のキュートさ、地名人名の名づけの妙、詳細な地図等、どんなに作者がこの小説を愛していたかが伝わってくる。これほど長い小説を、声を立てて笑いながら読むのは、得難い体験だった。
「オヤジ」社会を終わらせるにはどうしたらいいかの模索の書でもある。未完であるのは残念だが、後半を書き継ぐのは読者自身だとも思えてくる。「ふしぎと」明るい未来を予感させるトーンに励まされながら。