詩人の領域を超えた筆運び
ポルトガルの詩人フェルナンド・ペソアが、ほぼ無名のままリスボンで亡くなったのは、一九三五年のことである。享年四七歳。生前に発表されたわずかな作品を除いて、ペソアの文学はすべて彼が遺したトランクから発掘された。代表作『不安の書』もまた、この混沌から生み出されている。自分の声を残すのではなく、まるで自分と呼びうる存在を消すかのように、七十ほどの異名を使い分けていたペソアにふさわしく、そこには容易に足跡をたどることのできない膨大な草稿やメモが眠っていた。詩篇はもとより、戯曲、短編、哲学的省察から、文芸時評や翻訳、さらには「占星術に関するメモ」に至るまで、内容も形式も多岐にわたり、ノートだけでなく、広告の裏や社用箋、カフェの紙ナプキンなどにも記されていたという。断簡零墨をあわせると、その数は二万五千点以上。職業も年齢も出身地も様々な人物の声紋を借りて書かれていたこともあって、いまだその全貌は見えていない。
表題作をふくむ、断片ではない七つの短編が収められた本書もまた、私たちの知らないペソアの顔をよく示す一例と言えるだろう。たとえば冒頭の一篇「独創的な晩餐」は、アレクサンダー・サーチの名のもとに英語で書かれている。美食協会の会長をつとめる「きわめつきの俗物」、しかも、みなの前面に出ながら、私生活を明かさない謎めいた男が計画した奇妙な報復劇を、洒脱とブラックの中間色で描く。若い頃から愛読していたアメリカ文学の影響があるとはいえ、筆の運びは詩人の領域を超えている。
闇のなかの騎馬行進をたどる「忘却の街道」の語り手は、「自分が多数の人間のように考えている」という思いにとらわれる。「自分のものだと思っている感覚は、ある集団のものであり、個性などなかった。なぜならいろんな人間だったからだ。特定の場所もなかった。なぜならいろんな場所にいたからだ」
ペソアの登場人物は闇にまぎれて移動する。過去の記憶を現在に引き込むため、彼らは自身を正しいペテンにかける。「たいしたポルトガル人」の主題はまさに騙すことだし、陪審員に向かって自身の行動の正当性を「わたし」が訴える「夫たち」、二階の窓からいつも見かける男性に宛てた架空の書簡の体裁をとる「手紙」、逃亡者を追い詰める集団的熱狂を冷静に捉えた「狩」にも、筋道を通すことで必然的に生じる矛盾が刻まれている。とくにペソア没年に書かれたこの「狩」は、「ありふれた、どこにでもいそうな人の顔、ひとつの典型的人間」を消し去り、獲物に仕立てる狂気の到来を予告しているものとして印象に残る。
最もながく、生前に本名で発表された数少ない作品のひとつである表題作は、相容れない二つの要素を接続したそのタイトルで意表をつく。完璧な利潤の追求者たる銀行家とアナーキストが、なぜ一体化できるのか。人が有するべき自由を追い求め、つねに個でありつづければ、集団のなかで必ず出てくる専制政治的なものを回避できる。銀行家はそう整然と語る。
論理を突き詰めた果ての行動と、論理なしで人の上に立とうとする者が、結局は気脈を通じてしまう皮肉を、ペソアは抽象的な謎解きのように示す。巻末には、本作をより小説的に膨らませようとした異稿が収められているのだが、現行の危うい抽象性の説得力に、果たして物語的な肉付けを施していいものかどうか。選択は、ペソアの異名としての読者の手にゆだねられている。