長年、夏の休暇をヨーロッパで過ごしてきたせいで、ロンドン大学内の研究所に近い大英博物館は昼休みの散歩道だった。1階の左奥にあるアッシリア回廊は訪れるたびに、その壮観さに圧倒されるほどだ。アッシュル・バニパル王の獅子狩りや馬上で弓ひく姿は勇ましい。でも、戦場は嫌い、狩猟は好きだったらしい。
前二〇〇〇年ごろ、小さな都市国家として誕生したアッシリアは、他国に隷従しつつも勢力を拡大し、前八世紀半ばには世界帝国になった。イスラエルの民を虐待したせいで、『旧約聖書』では悪役として描かれている。真の姿はどうだったのか。
前八世紀後半から本格化したアッシリア帝国の領土拡大は、戦場でも先頭に立つサルゴン二世の治世に絶頂期を迎えた。後に敵の罠に落ち、惨殺されたばかりか、遺骸を回収できなかったという。葬儀や供養のない死者の霊は悪霊になると恐れられていたせいか、息子で後継者のセンナケリブは「サルゴンの子」とは言わなかったらしい。同王は親征を重ね有能であったが、歴史と伝統のあるバビロンを破壊したことで悪名を立てられた。その八〇年後に衰弱しあっけなく滅亡した。