書評
『「だから、生きる。」』(新潮社)
かっこ悪い日常にこそ価値
つんく♂は、喉頭(こうとう)がん治療に伴う声帯全摘出術により声を失った。彼は手術の直前、幼い3人の子どもたちに自分の声帯で発する最後の言葉を伝える。「お母さんの言うことをよく聞きなさい」「歌の練習をもっとしようね」「大好きだよ……」つんく♂が伝えたのは、特別なことではなかった。「どんな親でも言うようなこと」を心を込めて伝えたのだ。
一方、妻には何を残したか。個人的な内容なせいか本ではさらっと流し触れない。本当に特別な言葉は本人にだけ伝わればいいというのだろう。
こうした箇所からも十分伝わってくるが、つんく♂は、言葉選びの人だ。本書には、そのつんく♂の言葉の宇宙を巡るヒントがいくつも登場する。
つんく♂の歌詞のファンは多い。その一人、小説家の朝井リョウは「宇宙のどこにも見当たらないような 約束の口づけを原宿でしよう」(モーニング娘。『Do it! Now』)という歌詞を絶賛する。宇宙と原宿が混然とした歌詞の世界。歌詞の中に、コンビニも出てくるしショッピングモールも出てくる。そんな唐突な日常性にこそ、つんく♂の作家性がある。
本書では、歌詞が生まれ出るエピソードにも触れられる。
たまの休日にフードコートでラーメン食って、スーパーで買い物してポイントためるのも、実はロックじゃないか!
彼はあるときに気づく。「フードコート」も「ポイント」もかっこ悪い言葉に思えたが、その日常にこそ価値(=「ロック」)があると。子どもたちへの最後の言葉で「どんな親でも言うようなこと」を伝えたつんく♂の考え方は、こんな作詞の哲学と結びついているのかもしれない。
声は失った。だが宣言する。「俺は四十五歳にして、もう一度スタートやと思ってんねん」。次はどんな歌を作るだろう。
朝日新聞 2015年10月11日
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