前書き
『生まれるのも生きていくのもめんどくさい!超訳シオランの言葉』(飛鳥新社)
ああもうやってらんねえわ、死にてえわ!
仕事の失敗、派手な失恋、家庭のゴタゴタ、時には理由もなしにそんなこと思う時が人にはあったりする。
その勢いで実際死ねちゃえば話は早いが、人間の大多数にはそんな勇気もあるわけなく、ドロドロした思いを抱えたままでズルズル生き続けてしまうことになる。
だがそんな風に生き続けるには限界がある。
この鬱屈した状況に風穴を開けてくれる何かがないだろうか……
そう願う人々にうってつけの劇薬がある。
皆さんはエミール・シオランという名前を聞いたことがあるだろうか。
知らない人も大分いながら、知ってる人はトコトン色々なことを知りたくなるほどのめりこみたくなるこの男。
ルーマニアという、日本じゃドラキュラか、チャウシェスク独裁政権くらいしか知られていない東欧の小国から、フランスひいてはヨーロッパの現代思想界に堂々と殴りこみをかけた不世出の思想家であり……
さらに世界中から憧れの眼差しを向けられる華の都パリで、その華やかさから目を背けて人間が持てる負の感情全てをこじらせながら、生まれたことへの呪詛を吐き続けた反出生主義者であり……
そしてパートナーに生涯寄生して本を書き続け、晩年にはあのノーベル文学賞の打診まで受けた偉大なるダメ人間!
彼はその八十年にもわたる生涯を通じて情熱的で暗黒、詩情豊かで謎めいた言葉の数々を紡いでいった。例えばこれ。
こういう痺れる言葉の数々に、世の中に絶望した人々の心は魅了されていった!
そしてその死後も彼の言葉はウイルスさながら世界へ広がっていき、地球上のあらゆる場所で熱狂的なファンをも獲得してきた。
例えば日本でもその断片的な文章がTwiter(現X)のツイートみたいってことで、その名言を呟く“シオランbot”を通じてかなりの広がりを見せた。
紹介者は大学受験の失敗や東日本大震災のノイローゼで鬱に陥った時、本とこのbotを通じてシオランを知った。鬱屈してる状態で『生誕の災厄』なんていう本のタイトルを見せつけられたら、そりゃもう心を掴まれる!
精神状態が最悪の時期は、ドス暗い本読みまくると変に落ち着くって感覚があるだろう。
シオランなんかキリスト教やら、生殖行為やら、文学やら、マジであらゆるものに呪詛を吐きまくってた。自分もそんな気分で、それでも未だにそれをどう言葉で表現すればいいか全く分かってなかったから、代弁してもらってるような気分になりのめりこんだ。
そうしてシオランを読み進めていくと、こういう文学性や鬱屈さとはまた別の側面も見えてくるはずだ。
あまりにも暴力的な皮肉、あまりにも後ろ向きな姿勢!
その突き抜けた言葉を読むと、ホラー映画の過剰すぎる恐怖シーンを見た時みたいにプッと吹き出したくなる時がある。
そしてこの言葉が表すように、このシオランという男はありとあらゆる負の感情をまるでシャツを脱いで、新しいのを着るかのように取り替えていく。その絶望は重苦しいどころかどこか軽薄なまでに軽やかで時にはゆるさすらある。
濃密な負の感情に関して、しばらく考えこみはするが執着しない。 来るに任せると同時に去るに任せ、結構テキトーに対応している。それは断章という形での書き方にも反映されていると思える。
そして、話はさっきの“生誕の災厄”って言葉に戻ってくる。このタイトルによって、シオランは日本であそこまでほの暗くかつ熱狂的な人気を獲得したんじゃないかと思わされる。それほどにこの訳は偉大だ。
だが、畏れ多くももし自分が言い換えるとするなら……生まれることのめんどくささ。これでどうだろうか。
いやもういっそこういう風に訳したい――生まれるのってめんどくせえな!
ここにおいて反出生主義って思想がある。
苦痛や不幸ってものは避けられないんだから、すべての人間は生まれるべきじゃないし、子供なんかつくるべきじゃない!
こういうネガティブもネガティブな思想のことで、これを代表する思想家こそがシオランなんてことがよく言われる。
この思想はどこまでも正しいとか、責任から逃げまくる幼稚さだとか散々っぱら色々と言われる。
だがシオランの言葉を通じて、この反出生主義に触れていると正しさとかそういうものを越えて「子供とかそういうの考える前にお前自身の人生を生きろよ、なあ!?」っていう強風に背中を押されるような感覚がある。
そういう風にシオランの思想を軽やかに捉え直すこと。
この本を書いた目的とは、つまりこういうことだ。
ちなみにこの「はじめに」では既存の訳を引用していったが、ここからの言葉は紹介者がシオランの母語であるルーマニア語、それからシオランが執筆に使ったフランス語から独自に翻訳したものだ。出典は巻末にまとめた。
そこに宿る軽やかさやとんでもなさを提示するために口語的というか、時には軽薄と言われてもおかしくない「超訳」をデカデカと見出しにさせてもらっている。
そしてその一つひとつに、ちょっとした解説もつけさせていただいた。ぜひ参考にしてほしい。
長々と能書きを垂れてきたが、最後に一つだけ。
シオランのドス暗い言葉には、ある強大な力が宿っている。
読みながら最初は海底へと沈んでいくかのように魂も鬱屈に沈みながら、ある地点まで沈みきった時、それは極限まで引き絞ったゴムが反発するがごとく自然と魂が反発する。
そして読者は生と死に対して、どこまでも前のめりにならざるを得ない!
その感覚を説明しようと試みたのが、この本なわけである。
さあ、シオランという深淵への旅へ出発しよう!
仕事の失敗、派手な失恋、家庭のゴタゴタ、時には理由もなしにそんなこと思う時が人にはあったりする。
その勢いで実際死ねちゃえば話は早いが、人間の大多数にはそんな勇気もあるわけなく、ドロドロした思いを抱えたままでズルズル生き続けてしまうことになる。
だがそんな風に生き続けるには限界がある。
この鬱屈した状況に風穴を開けてくれる何かがないだろうか……
そう願う人々にうってつけの劇薬がある。
皆さんはエミール・シオランという名前を聞いたことがあるだろうか。
知らない人も大分いながら、知ってる人はトコトン色々なことを知りたくなるほどのめりこみたくなるこの男。
ルーマニアという、日本じゃドラキュラか、チャウシェスク独裁政権くらいしか知られていない東欧の小国から、フランスひいてはヨーロッパの現代思想界に堂々と殴りこみをかけた不世出の思想家であり……
さらに世界中から憧れの眼差しを向けられる華の都パリで、その華やかさから目を背けて人間が持てる負の感情全てをこじらせながら、生まれたことへの呪詛を吐き続けた反出生主義者であり……
そしてパートナーに生涯寄生して本を書き続け、晩年にはあのノーベル文学賞の打診まで受けた偉大なるダメ人間!
彼はその八十年にもわたる生涯を通じて情熱的で暗黒、詩情豊かで謎めいた言葉の数々を紡いでいった。例えばこれ。
虐殺された樹木。家屋が出現する。いたるところ、面また面だ。人間は広がる。人間とは地球の癌だ。(『生誕の災厄』出口裕弘訳・紀伊國屋書店)181ページ
こういう痺れる言葉の数々に、世の中に絶望した人々の心は魅了されていった!
そしてその死後も彼の言葉はウイルスさながら世界へ広がっていき、地球上のあらゆる場所で熱狂的なファンをも獲得してきた。
例えば日本でもその断片的な文章がTwiter(現X)のツイートみたいってことで、その名言を呟く“シオランbot”を通じてかなりの広がりを見せた。
紹介者は大学受験の失敗や東日本大震災のノイローゼで鬱に陥った時、本とこのbotを通じてシオランを知った。鬱屈してる状態で『生誕の災厄』なんていう本のタイトルを見せつけられたら、そりゃもう心を掴まれる!
精神状態が最悪の時期は、ドス暗い本読みまくると変に落ち着くって感覚があるだろう。
シオランなんかキリスト教やら、生殖行為やら、文学やら、マジであらゆるものに呪詛を吐きまくってた。自分もそんな気分で、それでも未だにそれをどう言葉で表現すればいいか全く分かってなかったから、代弁してもらってるような気分になりのめりこんだ。
そうしてシオランを読み進めていくと、こういう文学性や鬱屈さとはまた別の側面も見えてくるはずだ。
人間関係がかくも難しいのは、そもそも人間はたがいに殴り合うために創られたのであって、「関係」などを築くようには出来ていないからである。(『告白と呪詛』出口裕弘訳・紀伊國屋書店)
遅刻する連中には死刑を導入しなければならない。(『カイエ』金井裕訳・法政大学出版局)
あまりにも暴力的な皮肉、あまりにも後ろ向きな姿勢!
その突き抜けた言葉を読むと、ホラー映画の過剰すぎる恐怖シーンを見た時みたいにプッと吹き出したくなる時がある。
人生に適応するわたしの秘密は?―シャツのように絶望をとりかえたこと。(『苦渋の三段論法』及川馥訳・国文社)
そしてこの言葉が表すように、このシオランという男はありとあらゆる負の感情をまるでシャツを脱いで、新しいのを着るかのように取り替えていく。その絶望は重苦しいどころかどこか軽薄なまでに軽やかで時にはゆるさすらある。
濃密な負の感情に関して、しばらく考えこみはするが執着しない。 来るに任せると同時に去るに任せ、結構テキトーに対応している。それは断章という形での書き方にも反映されていると思える。
そして、話はさっきの“生誕の災厄”って言葉に戻ってくる。このタイトルによって、シオランは日本であそこまでほの暗くかつ熱狂的な人気を獲得したんじゃないかと思わされる。それほどにこの訳は偉大だ。
だが、畏れ多くももし自分が言い換えるとするなら……生まれることのめんどくささ。これでどうだろうか。
いやもういっそこういう風に訳したい――生まれるのってめんどくせえな!
ここにおいて反出生主義って思想がある。
苦痛や不幸ってものは避けられないんだから、すべての人間は生まれるべきじゃないし、子供なんかつくるべきじゃない!
こういうネガティブもネガティブな思想のことで、これを代表する思想家こそがシオランなんてことがよく言われる。
この思想はどこまでも正しいとか、責任から逃げまくる幼稚さだとか散々っぱら色々と言われる。
だがシオランの言葉を通じて、この反出生主義に触れていると正しさとかそういうものを越えて「子供とかそういうの考える前にお前自身の人生を生きろよ、なあ!?」っていう強風に背中を押されるような感覚がある。
そういう風にシオランの思想を軽やかに捉え直すこと。
この本を書いた目的とは、つまりこういうことだ。
ちなみにこの「はじめに」では既存の訳を引用していったが、ここからの言葉は紹介者がシオランの母語であるルーマニア語、それからシオランが執筆に使ったフランス語から独自に翻訳したものだ。出典は巻末にまとめた。
そこに宿る軽やかさやとんでもなさを提示するために口語的というか、時には軽薄と言われてもおかしくない「超訳」をデカデカと見出しにさせてもらっている。
そしてその一つひとつに、ちょっとした解説もつけさせていただいた。ぜひ参考にしてほしい。
長々と能書きを垂れてきたが、最後に一つだけ。
シオランのドス暗い言葉には、ある強大な力が宿っている。
読みながら最初は海底へと沈んでいくかのように魂も鬱屈に沈みながら、ある地点まで沈みきった時、それは極限まで引き絞ったゴムが反発するがごとく自然と魂が反発する。
そして読者は生と死に対して、どこまでも前のめりにならざるを得ない!
その感覚を説明しようと試みたのが、この本なわけである。
さあ、シオランという深淵への旅へ出発しよう!
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