書評
『今こそ、韓国に謝ろう』(飛鳥新社)
双方に届く深さを備えるには
あの百田尚樹氏が『今こそ、韓国に謝ろう』を出版した(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2017年7月)。謝る、本気なの? と思って読むと、やっぱり変化球だ。「ほめ殺し」を思わせる屈折したメッセージになっている。章立ては、日本統治の実際/朝鮮の伝統文化/「七奪」/ウリジナルの不思議/モラルのない韓国/慰安婦問題、となっている。たしかに《サクサク読めて》(帯)わかりやすい。
なのでなおさら、本書は困りものだ。どうせ「ヘイト本」だから、とスルーできない。安倍首相も、各界の指導的な立場の人びとも読むだろう。ほっておけば影響力をもち、世論や外交を左右しかねない。
では、なぜ「謝る」のか。第一章にはこうある。小中学校をたくさん建て、子供の自由を奪ってごめんなさい。鉄道や堤防やダムを造り、自然を破壊してごめんなさい。農業生産を二倍にし、工業も興してごめんなさい。朝鮮の人びとが自分でやらなかったのを、無理やり押しつけたから謝ります、なのだ。
要するにこういうことだ。近代化はよいことだ。日本の統治は、動機も結果もよかった。朝鮮のためになった。ただ朝鮮の人びとに、それを押しつけたのは反省すべき。上から目線で、相手を子供扱いしている。
第二章は、朝鮮の伝統文化を破壊したが、それは前近代的で非人間的だった、とする。
第三章は、いわゆる「七奪」への反論。主権を奪った→清の属国だったのを独立させた。王を奪った→李王朝には敬意を払った。人命を奪った→三・一独立運動は暴徒の騒乱だ。言葉を奪った→ハングルを学校で教えた。名前を奪った→日本名への変更は認めなかった。土地を奪った→農民に土地を与えた。資源を奪った→投資をした。
著者は根拠を示しつつ議論を進める。よくある嫌韓とは違った正論たらんとしている。真剣に考えてもいる。でも、離婚調停でいっぽうの申し立て書だけを読んだような、片側感がぬぐえない。双方に届く深さをそなえるにはどうしたらよいか。
本書でうなずけるのは次の指摘だ。朝鮮は儒教圏で清に従属し、「国民」意識が弱かった。日本は教育や社会インフラを充実させ、近代化を進めた。朝鮮の人びとは、十分主体性を発揮するチャンスがなかった。それで日本への憧れと反撥(はんぱつ)の、矛盾した感情を抱いた。自尊心が傷ついたので、日本を過剰に非難するようになったのだ、と。
ナショナリズムが自尊心のゼロサム・ゲームなら、争いになるしかない。本書は、日本人の心情に訴えている。やはり、そのゲームの内部にある。
本書の先に進めるだろうか。 まず、韓国併合をめぐる日本側の二重意識に気づくことだ。朝鮮は日本だからと、日本が統治した。でも憲法の条項を適用せず総督府を置いた。同じ日本人だ、と言いつつ差別もした。その二重意識を、朝鮮の人びとは許せないのではないか。
日本人に差別の意識はなかったかもしれない。でも、朝鮮のやり方は間違いだと思い、日本の流儀を強引に押しつけた。世界の「多様性」を理解しない、偏狭さがあった。その日本人の癖はいまも直っていない。
つぎに大事なのは、相手の視点に立つこと。百田氏の本にはその端初(たんしょ)がある。近代化を押しつけ申し訳なかった。レトリックかもしれないが、その視点を徹底させれば、相手の側からみた日韓関係史がみえてくる。それをまず真剣にやるべきだ。本書はその入り口になる。
「謝ろう」と百田氏は言う。謝らなくてよいと思うが、百田氏の本やそれ以外の本もよく読んで、複眼的思考を身につけようではないか。
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