書評
『機械』(新潮社)
独白の不穏
生前の名声に比して、今日の横光利一を巡る状況は寂しい限りだが、日本近代文学史の反私小説的な系譜という意味では、芥川龍之介から横光へと続く流れは、川端康成を掠めて、現代に至るまで非常に長い射程を有しているだろう。自己の文体の同一性について、些かも疑いを持たない幸福な作家はいるもので、同様にそれを疑わない幸福な読者もいる。彼らにとって、横光の多様な試みは、知が勝った、人工的で、不自然な実験でしかないのかもしれない。
『機械』は彼の代表作だが、この作品の不穏さには、しかし、そうした見方を覆すのに十分な迫力がある。タイトルが示している通り、主人公の語るところは、機械のように精密で殆ど何の破綻もない。にも拘わらず、そこから絶えず立ち昇ってくるのは狂気の気配である。
『機械』には、ただ心理だけがあり、感情がない。そして、恐らくはそれが、この作品が、非常に緻密な権力の考察に基づく、徹底して「政治」的な小説である所以である。改行を最小限に留めたモノトーンな文章の中で、語ることそれ自体が、刻々と自己を削ぎ落としてゆく。その不可逆的な進行の不気味さは、不可抗力という横光作品にしばしば見られる神秘的な主題として理解されるだろう。
【この書評が収録されている書籍】
ALL REVIEWSをフォローする