人口の停滞期に坂本龍馬は現れない
テレビの「龍馬伝」の影響か、巷(ちまた)には「第二の龍馬、出(いで)よ!」の声が満ちているが、歴史の教えるところは「まず、九十九%無理」である。日本の出生率が急上昇でもしない限り、第二の坂本龍馬は出現しないだろうと予測できるからだ。だが、いったい私は何を根拠にこんな予測を立てたのか? 歴史人口学の導き出した結論に拠(よ)ったのである。すなわち、近年、発達著しい歴史人口学によると、時代を変革する革命家の出現には若年人口の急増が不可欠なのである。だが、こういうと「幕末は人口の停滞期だったのでは?」という反論が出るだろう。たしかにそうなのだが、歴史人口学の集大成である本書を開くと通説とは違ったことが書いてある。すなわち、東北日本と中央日本は通説通り人口が増加しなかったが(ただし原因は別々だった)、西南日本は違っていたというのである。
西南日本においては、自然条件は、中央日本よりさらに良かったが、農村部で増大する人口を吸い取る都市が十分に発達していなかったので、『安全弁』が働かず、人口圧にさらされる結果となった。人口は増大したが、結婚しても行き場所がなく、親の元に住み続ける場合が多かった。それゆえ、世帯の規模は大きくなる。最大の問題はこの人口圧であった。(中略)幕末期に、徳川幕府への反乱が西南日本の大藩の武士たちの間に広がり、一つの政治勢力に結集した背後には、こういった事情があったのだ、と考えることはできないだろうか
さて、いきなり本書の最終的仮説を引用してしまったが、じつは、日本における歴史人口学の鼻祖である著者がここに至るまでには、それこそ血の滲(にじ)むような史料との格闘の日々があったのである。
一九六〇年代にヨーロッパに留学し歴史人口学と出会った著者は帰国後、宗門改帳ないしは宗門人別改帳の収集と分析に情熱を注ぐ。ちなみに、宗門改帳とはキリシタン禁圧後、幕府が直轄地の全住民に実施した信仰調査で、やがてこれが全国規模に広がり、当初は人名と宗派(寺院)しか記載されなかったものが、世帯構成員の年齢、生年、異動、資産まで記されるようになり、文字通りの人口調査へと変化していった(これが宗門人別改帳)。では、なにゆえに宗門改帳が著者の関心をひいたかといえば、これこそ連年作成される戸籍簿型の世界に例を見ない最良の史料、「人類の遺産」であると気づいたからだ。
だが、困難も倍して存在していた。「大名の数だけ書式、記載内容の違いがある」だけでなく、「本籍地主義」のものも「現住地主義」のものもあり、思っているより扱いにくい史料であったからだ。しかし、長期的持続を調べるにはこれ以上の史料はない。そこで、著者は独特の列車時刻表をヒントにBDS(Basic Data Sheet)と名付けた記載方法を考案した。シートにはタテ軸に時間(年)、ヨコ軸に毎年の記載情報を書き込む。
BDSは、縦方向にたどれば、個人、夫婦、世帯の行動が観察できるし、横方向には、ある都市の世帯の情報を知ることができる
今日ならデータをインプットすれば、あとはコンピューターが働いてくれるが、著者はコピー機もない時代にこのBDSを作成したのである。なんという気の遠くなるような作業だろう! だが、五十年に及ぶ労苦はその後の歴史人口学の発展によって十分に報いられた。過去を知ることで未来を占うという歴史学本来の使命がこれほど強く納得される本はない。