対談・鼎談

『ダーウィン論―土着思想からのレジスタンス 』 (中央公論新社)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/11/19
ダーウィン論―土着思想からのレジスタンス  / 今西 錦司
ダーウィン論―土着思想からのレジスタンス
  • 著者:今西 錦司
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:新書(189ページ)
  • 発売日:1977-09-25
  • ISBN-10:4121004795
  • ISBN-13:978-4121004796

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山崎 『ダーウィン論』というタイトルがついていますが、じつは”反ダーウィン論”でして、副題の「土着思想からのレジスタンス」というのには少し問題がありますが、そこに著者の気持が半ばこめられています。著者の今西錦司先生は、京都大学の農学部を出たれっきとした生物学者ですけど、むしろ生物学者の間では思想家と呼ばれ、みずからもそれに決して抗議しないというふうにいいながら、生物学の古典であるところのダーウィンの『種の起原』をもう一度、七十を越してから読み直してみるという姿勢で書いた本です。

もともと生物というものは、端のほうにタンパク質、反対の端のほうに人間という奇妙な存在を抱えこんでいる世界で、一方では擬人主義に陥る危険をもち、反対の極では擬物主義、いまでいう分子生物学という方向へ落ちていく危険をつねにはらんでいる、と著者はいいます。

そういう学問であるだけに、たとえば進化一つ取りあげてみても、おのずからその学者が生きた時代思想とか文化的な思考の土壌とかが露骨にあらわれてくるものですけど、ダーウィンが自然淘汰説に基づいて進化論を書いたその背景には、スペンサーという、人間社会について自然淘汰による進化論を書いた学者の影響がある。しかもそのまた背後には、生物というものを一つずつ個体として取りあげ、その個と個の間の競争が生命の世界の全体を決定していく、という基本的な思想があるのですが、これは近代西洋に特有の擬人主義で、近代西洋社会において、自我、あるいは個人というものが重く見られた思潮の反映だといえるわけです。

それに対して今西さんは、まず非常にイグザクトに、自然科学ないしは生物学としての疑問を投げかけているんですが、それよりもわたくしたちにとって興味深いのは、ダーウィン理論に批判を加えながら、今西さんが出そうとしている彼独自の進化論、あるいはその背後にある生命観、自然観なんですね。

それは一言でいいますと、生命の全体を決定していくものは生物の個体ではなく、種であるという思想です。つまり、生命全体という普遍的なものと個々の個体の中間に種というものがある。これは、普通、個の総和、足し算と考えられているグループなのですが、今西さんによると、種というものは単なる個の足し算ではなくて、全体として一つのまとまった有機的単位だというわけです。これはよくいうところの棲みわけ理論というものに結びついているんですけど、自然環境というものを個が直接に受けとめているんじゃなくて、直接に受けとめているのはむしろ種であって、その種の表現体として個えの個体はあるんだという考え方なんです。

これを進化論に適用しますとたいへんおもしろいことになってくる。生物というものは、一つの種の中では、ほぼ似たり寄ったりの形をもっていて、お互いの競争要因よりも、一致協力して同じ運命を辿る力のほうが強いんだという考え方ですね。それじゃ一体、進化というのはどうして起こるのかとなると、ここはたいへん日本的、東洋的な考え方でして、生物同士はいわず語らず相談して役割を分担するのであるという考え方ですね(笑)。たとえば自然界に大きな変化が起こると、種全体が生き延びるため、みんなで協力してひとつ変ろうではないかと暗黙のうちに相談ができて、元は一つであった脊椎動物がクジラになったり、ウマになったりするのであると、その辺のところはいささかおとぎ話を聞くような感じがしますけど、おもしろいのは、動物社会を変えていく要素が、個の間の競争ではなくて、種全体に対する外圧であるという根本思想ですね。

わたくしはこれを読んで、とっさに田辺元の『種の原理』を思い出しました。田辺さんは哲学の上で、個と普遍しか考えない西洋思想に疑問を投げ、その間に国家や民族といった種の存在を重視して、いわば一種の三元論でものを考えようとしています。

これはまことに日本的な考え方で、日本社会というものは、西洋近代の生み出した個人とか自我というような観念よりは、むしろ社会の中の一つの単位を重視し、家族や集落、ひいては会社の部や課というような一つの単位がまとまって動いていく。その中では競争原理よりはむしろ協調原理のほうが働いており、したがって、全体が大きく変るためには外圧が必要であるという宿命的な構造をもっています。そういった民族性がこの進化論にあらわれてくるのはたいへんおもしろいと思います。

(次ページに続く)
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初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年2月10日

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