対談・鼎談

『ダーウィン論―土着思想からのレジスタンス 』 (中央公論新社)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2017/11/19
木村 江戸時代に三浦梅園という人が人癖(ひとくせ)ということをいっているんですね。人癖というのは、人間が天地について考えるときも、やはり人間になぞらえて考えるということです。たとえば、唐傘のお化けには、人間と同じくちゃんと日がついており舌がついていて、唐傘が茶臼に化けるなんてことはない。人間はいつも自分になぞらえて相手を見る、ということをいっているわけですね。

ダーウィンが生まれた十九世紀は、ちょうど近代市民社会の、個というものが史上最高に際立って強調された時代で、結局、ダーウィンの考え方自体がいってみれば近代思想の人癖そのものであるということですね。一方、今西さんのほうは、一つの種だけが変化するなんて許されないことで、種が変化するときは自然全体が変るんだといっています、これは西洋医学と漢方の違いでもあって、西洋医学は非常に闘争的で、まず胃炎とか胃ガンとかの病名をはっきりさせて、これに薬や手術による集中攻撃をかけますが、東洋の医学は、からだ全体の調和を取り戻さないことには胃は治らんという考え方ですね。

一般にヨーロッパには、人生を戦いにおいて生きるという考え方がありますね。トインビーの場合もチャレンジ・アンド・レスポンスつまり挑戦と応戦――人間が自然ないしは他の文明から様々な挑戦を受ける、それに対してどういうふうに対応していくか、ここで人間の歴史が決定されていくというのが、思想の根底になっています。ダーウィニズムに見られるそういう闘争的な姿勢に対して、この本は、「土着思想からのレジスタンス」という副題がちょっとよくわからないんだけど、要するに東洋の側からの批判だといえるんじゃないでしょうか。

丸谷 この副題がよくわからないっていうのはおっしゃるとおりですね、この本で欠点があるとすれば、おそらく今西さんではなく、編集部がつけたと思われる副題がたった一つの欠点ですね。ああいう副題をもしつけるのなら、土着思想というものについての説明が本文の中になくちゃならない。

しかし、この本はぼくにとってたいへんいい本でした。いい本というのは、もの自体について教えてくれるだけでなく、さらに、ものの見方、考え方も教えてくれる。たとえば一六九ページ――。

メンデルの仕事は、彼が材料にえらんだのがエンドウという植物だったからこそ、うまくいったのだ、ということをひとは往々にして忘れてしまっている。やがてメンデルの仕事は、海を渡ったアメリカで、モーガンやドブジャンスキーに引きつがれるが、(中略)ここでも、彼らのつかった材料が、ショウジョウバエだったからこそ、うまくいったのだ、ということを、人々は忘れがちである

ということを今西さんはいった後で、とかく学問の主流派は彼らのたてた理論を守るために、具合の悪い実験材料は伏せて発表しない傾向がある、と断定している。こういうものの考え方は、われわれが文学や政治について考える場合にもすぐに役に立つ考え方ですね(笑)。

それからもう一つ。今西さんは『種の起原』を原書で、しかも初版について読む。そこで、適者生存と普通いわれている言葉が、ザ・サーバイバル・オブ・ザ・フィッテスト(the Survival of the Tittest)である、だからこれは最適者生存と訳すべきである、といっている。それから生存競争というのは原著ではストラグル・フォー・エグジスタンス(Strugle for Existence)である。これは日本訳では生存競争とさんざんいわれているけど、ほかに生存抗争とか、生存に対する努力とかいってもいい、といっている。こういう言葉に対するこだわり方、厳密さも、われわれが今日すぐに学んで役に立つ態度だと思うんです。そういう思考技術の師匠としての立派さが、つまり今西さんが単なる生物学者でなくて思想家だということなんでしょうね。

山崎 それにしても、ダーウィンという自然淘汰説の元祖そのものはじつに謙虚であって、自分の説についてのためらいも当惑もちゃんと書いているんですね。たとえば、自然淘汰説というのは確かに進化を説明することはできる。しかし、ある器官が退化したということについては何も説明できないというんですね。洞窟の中の魚は目は使わないけど、だからといってあったって不自由するもんじゃないんだから、べつに退化する必要はないのに退化している。これは、適者生存や生存競争という概念では説明できないとダーウィン自身が認めて、これについて「なにか追加的な説明が要求されているのだけれども、私はその説明を与えることはできない」といっているそうです。ダーウィンを読まずに自然淘汰説を語っている人は、たぶんこういうことに気がつかないはずですね。これはあらゆる大思想、マルクス主義にも実存主義にもいえることですけど、祖述者、エピゴーネン、というのはつねに元祖よりも純粋で、元祖よりも狭量なんですね。つまり、今西さんが闘ってる敵というのは、ダーウィンその人というよりは、ダーウィンの祖述者であり、ダーウィニズムの魔女たちとの闘いだというところが、印象的でした。

(次ページに続く)
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初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年2月10日

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