社会を映す、網の目ネットワーク
長年、森に関心を持ってきたが、本書を読んで、森のイメージが変わった。「木を見て、森を見ず」という言葉があるが、自分は確かに木を見て、根をよく見ていなかったなあ、と思う。たとえば著者は熱帯雨林の木の根を掘って、徹底的に追いかける。根の先端は菌糸と絡み合っている。WWW(ワールド・ワイド・ウェブ)という言葉がある。インターネットが世界中に張り巡らされたネットワークになるという意味だが、最初のWをwood(森)に変えてもいい。そうすればウッド・ワイド・ウェブということになる。森の地下全体に菌糸のネットワークが広がっている状況である。
これをどう考えたらいいのか。まず問題は、この網の目が見えないということである。とりあえず頭の中でこの網の目を想像するしかない。そのところどころからキノコが生える。キノコは子実体(しじったい)と呼ばれ、胞子を作って菌の領域を広げる。
私が学校で生物学を習った頃は、生物の世界は単細胞の細菌と、動物・植物の二つに大分けされていた。現在では動物、植物、菌類という三区分になっている。菌類の中には、ヒトの生活に関係の深い酵母のような単細胞生物も含まれている。
菌糸の網の目は、根の先で木と物質のやり取りをする。それは情報のやり取りでもある。そう思えば、まるで脳みたいだが、もちろん脳ではない。
生物を扱う学者は、自分が扱っている対象に似てくるという。本書は網の目のように各部が繋(つな)がりあって構成されており、特定の筋書きに沿って、すっきりした因果関係を説明するようなものではない。まさに菌類の博物誌であり、最近発見された事実を網羅する総説である。
副題には「キノコ・カビ・酵母たちの驚異の能力」とあるが、それはWWWの一面に過ぎない。我々は自分の都合で世界を見てしまうが、菌類は「自然はそういうものではないよ」と、教えてくれる。
キノコ好きの人は多い。本書でも菌類研究にアマチュアがどれだけ寄与してきたか、現在寄与しているかが記されている。おいしいキノコ、毒のあるキノコというのが、一般の人の菌類に関する認識であろう。そのキノコを作るのは、背景に存在している菌糸の網の目であり、その網の目自体を「見る」ことはほとんどできない。我々が一口に「緑」と呼ぶものは、WWWに支えられた可視的な部分のみなのである。
著者は「私は菌類を研究しているときほど菌類らしく振る舞うことはない」と記す。「互いに便宜を図ったりデータを融通したりして、すぐに学術的な相利共生関係を結ぶ」
生物学は、物理や化学のような無生物で成功した研究方法を取り入れて発展してきた。今ではネットワークを扱うにはどうすればいいのか、という大きな問題に直面している。
本書の最終章は「菌類を理解する」と題される。「もし私たちが動植物ではなく菌類を『典型的な』生命体と考えるなら、私たちの社会と組織はどのように変わるだろうか」。つまりはそういうことなのである。菌類は果たして特殊な例外なのか。