対談・鼎談

『角倉素庵』アリソン・アドバーガム (パルコ出版)|丸谷才一+木村尚三郎+山崎正和の読書鼎談

  • 2018/02/14
角倉素庵  / 林屋 辰三郎
角倉素庵
  • 著者:林屋 辰三郎
  • 出版社:吉川弘文館
  • 装丁:単行本(235ページ)
  • 発売日:2017-06-16
  • ISBN-10:4642067272
  • ISBN-13:978-4642067270
内容紹介:
近世の経済や文化の発展に多大な役割を果たした素庵。朱印船による交易や華麗な嵯峨本の刊行など、卓越した業績と清楚な生涯を辿る。

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山崎 林屋さんはご承知のように歴史学者で、日本史、わけても日本文化史の領域で非常にユニークな、しかも確実な業績をあげてこられた人です。その筆者にとって、この「角倉」は、いわば生涯の主題なんです。「角倉了以(すみのくらりょうい)とその子」という論文が林屋さんの学問のスタートであって、いわばその中仕切りともいうべきものとして、今度、了以の息子素庵(そあん)を伝記の形で書かれた。そこに、一人の学者の情熱というものが結晶している印象を受けました。

角倉素庵といえば、了以と共に名前だけはよく知られていますが、さてその事績というと、これまで一般の目に触れるような形では紹介されていなかったわけです。角倉家というのは、室町初期から江戸初期にかけて、京都の町衆の代表的な家で、本来の家業は医者だった。それがやがて実業に手を広げ、当時の金融業、すなわち土倉の家になる。土倉というのは、もともと倉庫業ですが、おカネの貸し借りをするのみならず、時の政権とも絶えず密接な関係を持つ、一種の政商だったわけですね。その角倉家が、やがて了以と素庵という、一種の天才的な人間を生み出して、事業の上で瞠目すべき展開が始まります。

一つは、一種の土木事業です。京都を訪れるとだれもが散策する高瀬川を掘鑿(くっさく)し、さらに当時の琵琶湖と京都を結ぶ疎水の計画まで立てる。そして水利を使って流通に貢献すると同時に、そこから収益をあげる。そういう近代的な運送事業を始めた。

もう一つは海外貿易です。御朱印船を安南(現在のベトナム)その他東南アジアの国々に派遣して、盛んに海外の文物を輸入するという仕事をしました。

ところが、それだけではなくて、素庵は、たいへんな学者でありまして、朱子学を研究し、当時の偉大な朱子学者であった藤原惺窩(せいか)およびその後輩に当たる林羅山を助けて、徳川時代の中心的イデオロギーになった朱子学の成立に寄与する。さらに本阿弥光悦らと結んで、わが国の古典文学を嵯峨本という形で出版することに力を注ぎ、わが国の伝統の大衆化にも寄与しました。

こうしてみると、西欧のルネッサンス的な人物像にほぼ近いものが、室町から江戸の初めにかけて実在したということがいえます。そういう、近代人の典型のような人が現われながら、なぜこれがあとへそのまま繋がらなかったのかというところにも一つの問題があります。

だいたいわが国の戦後の歴史観というのは、中世、近世を取りあげるとき、基本的には農民史観なんですね。農民の側から時代をとらえて、それがつねに抑圧されていて、ときどき一揆を起こす。そこに歴史の進展を見ようという態度が多かった。皮肉っぽくいえば、一揆史観であったと思うんです。林屋さんはむしろ都会人、あるいは市民というものの積極的な意味を取りあげて、一種の市民史観を展開している。わたくしは大いに共感を覚えました。

丸谷 林屋さんの歴史家としての立場の根本のところにあるものは、角倉一族のブルジョア的道徳なんですね。角倉了以の船が安南に行った。そのときに藤原惺窩が頼まれて書いた手紙が引用されている。その立場は、要するに人間というものは信をもって律すればうまくゆくものだということであって、普遍的なヒューマニティー人間性へのたいへんな信頼がある。そういう方向は、もちろん儒教によって生じたものなんだけれども、一種近代ヨーロッパの立場に近いものになっている。そこのところに、林屋さんは非常に惹かれてるんだなと思ったんです。

木村 そこはわたしもいちばん惹かれたところです。つまりどこの国とか、どこの階層とか、どこの権力とかに従うんじゃなくて、どの地域とも、どの民族とも交流し合う、その根本のようなものを書いておられるわけです。ここには現代の日本の商業活動以上のものがあると思うんですね。

最近しばしばわが国は契約を守らないということがいわれております。オーストラリアから霜降り肉を買うと約束していながら買わないとか、砂糖を買うと約束しながら、国際価格が三分の一に下がったら買わない。結果として違約をしている場合が非常に多い。そういう点、ここでは富裕市民というものがだれにも束縛されず、自ら責任をとりながら貿易した精神態度がよく表われていると思うんですね。

山崎 純粋な商売人が、信義を非常に大事なものと考え、倫理を表に押し出して生きていく。そうでなければ商売は成り立たないという考え方を非常に早くもったのは、日本の一つの特色じゃないかと思うんです。

いまでもかなり多くの国では、商売というのは騙すか騙されるか、食うか食われるかという関係であって、下手な契約をして騙されたのは、騙されたやつが悪いという信条で生きているわけですからね。

それと同時にたいへんおもしろいのは、法華経が町衆の信仰になっていた。日蓮宗というのは、不思議なことに商売人の宗教なんですね。だいたい農民は一向宗で、武士は禅宗で、商売人は日蓮宗なんです。日蓮宗は最も倫理的規制の厳しい、公けの立場を最も強く主張した宗派なんですね。それが商売人のものになるというのはおもしろい。

『本阿弥行伏記』によると、素庵の友だちの光悦があるとき友人の家に行ってみると、師走だというのに支払いをやってるというんですね。こんな忙しいときにどうして支払いをするんだと訊いたところが、忙しいときに支払いをすると、小銭をごまかせるといった。それで光悦は交わりを断ったというんですね。商人でありながら、非常に倫理的なものの強い気風が見られる。

丸谷 本阿弥一族はそうですね。たしかに角倉一族と共通する倫理だと思います。

山崎
江戸時代、士農工商という形で商はいちばん下に置かれた。しかし江戸初期までの商人というのは、もう少し気宇壮大で、主体的なものだったという気がするんですよ。

木村 江戸時代は、物をやりとりするよりは、大根一本でもつくったほうが価値があるという考え方ですね。現代でも、右から左へ動かすだけの商業より、ビス一本でもつくったほうが価値があるという考えのほうが支配的です。
商業に対して本格的に取り組むという気持がないから、日本の商品流通機構は複雑怪奇なんですね。卑しい世界と思ってるから、だれも本気で取り組もうとしない。

山崎 いまの財界というのも、基本は鉄でしょう。それに対して流通は主力を占めない。流通部門に人材が動きかけてるのは、ようやく最近ですよね。

木村 たとえばヨーロッパのように地続きの中で生きているところは、もともと地域と地域を結び合わせるものとして、商人しかいないわけですね。ですから権力者がいちばん大事にしたのは商人で、その次に手工業者、いちばん最後に農民がくる。士商工農なわけです。他人の住んでいる土地を通って商品を無事安全に運ばなければならないヨーロッパでは、どうしても普遍的な生き方をする必要があった。日本は、江戸に入りますと、海のまわりにぐるぐる船を回すだけで、いちおう自給自足体制ができるということで、商人道というものが大きく育たなかったんですね。

山崎さんは信義は日本だけのものとおっしゃいましたけれども……。

山崎 いや、日本だけということじゃなくて時代が早いということですね。

木村 ヨーロッパ人はそういう状況の中に置かれるからこそ、約束は守るんですよ、形の上では。約束を守らないと次から物を売ってくれないとか、殺されるということがありますから。むしろここに出てきている信義の観念というのは、ヨーロッパではもともと貴族とか都市民が国際社会の中で、孤独に、そして普遍的に生きていくための、不可欠の倫理だったともいえるわけですね。角倉素庵の時代はたいへんヨーロッパ的で、しかも自分の力でやるとなりますと、世界を広く見渡さなきゃなりませんから、学問も必要だし、文化にも配慮しなければいけない。非常に広い意味の教養人たることが要求されたと思うんですね。

山崎 約束を守るということはもちろん西洋の商人にとっても大事だし、それが契約の観念ということだと思うんです。ただ、契約さえ守れば、その契約のプロセスの中で愚かな者が賢い者に滅ぼされてもしかたないという観念、シャイロックの人肉裁判に通じる論理があるでしょう。

木村 ありますね。

山崎 わたくしは、日本の「信」はちょっと違っていたと思うんですよ。商売人であるくせに、形式論理で相手をやっつけて勝つというよりは、もう少し相手のことを考える。

丸谷 仁が背後にある、そういう信ね。そこはやはり儒教的なんでしょう。

(次ページに続く)
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初出メディア

文藝春秋

文藝春秋 1978年5月16日

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