読書日記

鹿島茂「私の読書日記」- 週刊文春2018年2月15日号 - 本郷和人『日本史のツボ』(文藝春秋)、水野一晴『自然のしくみがわかる地理学入門』『人間の営みがわかる地理学入門』(ベレ出版)

  • 2018/03/01

週刊文春「私の読書日記」

×月×日

エマニュエル・トッドの『家族システムの起源』をゼミで学生とともに精読しているが、これを読んでいると日本の歴史というものをもう一度、家族システムという観点から再検討してみたい誘惑に駆られる。この意味でおおいに興味を引かれるのが、本郷和人『日本史のツボ』(文春新書 840円+税)。日本史を天皇、宗教、土地、軍事、地域、女性、経済という七つのテーマで眺めると歴史の流れが一気につかめるというのが謳い文句だが、家族システムからすべてを考えるという私の関心と重なる部分が多い。

まず「天皇」の項。私の疑問は、辺境ゆえに双処居住型核家族で焼畑ないしはアジア的稲作農業という産業構造を強いられ、土地所有概念の薄かった日本列島で、七世紀に突如共同体家族的な土地システムである律令制が採用されたのはなぜかということだが、これに対してはこんな答えが用意される。「天皇家が押し進めた『律令制』は、実際にそれによる統治が行われたというよりも、あくまで西からの『外圧』に対抗して国の結束を固めるための『ヴィジョン』あるいは『努力目標』だった」。

努力目標だから、白村江敗北時に顕在的だった中国の脅威が薄れると、律令制度は破綻し始めるが、荘園を開拓しても建前的には班田収授法が生きているため、荘園が天皇=国家に没収される危険も出てくる。そうなったとき、在地領主(下(げ)司(し))は中央貴族や寺社(領家)などに荘園の寄進(年貢の何割かを与える契約)と交換で保護を求める。この上司も上の皇族や摂関家、有力神社などの本家に同じようなことをする。こうした下司職→領家職→本家職の保護順送りの体系を「職(しき)の体系」という。荘園以外の公領も同じシステムで「荘園も公領も根っこは同じ『職の体系』という上下関係によって成り立ってい」た。

「土地」の項ではこの「職の体系」の重要さがあらためて強調される。すなわち、実質的権力は藤原氏に移ったにもかかわらず、「職の体系」の頂点に位置する天皇家には莫大な収入が集まってきていたため、天皇家は政治権力は失っても経済権力は保持していたのだ。だが「職の体系」には問題があった。

土地の持ち主が誰なのかがはっきりしないことです。下司職、領家職、本家職のいずれも、土地の権利を一部だけ持っている。しかし、土地まるごとの権利は誰も持っていないという、きわめて不安定な状態です。(中略)中央があてにならないとなると、地方の在地領主たちはどうするか。自力救済です。とりあえず土地を奪いに来た相手を、実力で撃退するほかない。自ら武装して土地を守る。これが武士の誕生です

こうした武士の代表が源氏で、武士たちは本領の安堵(もとの所有地の保障)を源氏に求める代わりに「いざ鎌倉」となれば軍事行動を提供する。頼朝は「職の体系」を否定することなく、独自の支配体制を作りあげるが、やがて承久の乱で「職の体系」は弱体化し、土地本位システムに立つ鎌倉幕府が成立する。しかし勝利した鎌倉幕府も中国から流入した銅銭の貨幣経済の浸透で基盤が緩み、蒙古襲来をきっかけに終焉を迎える。

足利尊氏は貨幣経済を見据えて、幕府を京都に開くが、尊氏が京都を選んだもう一つの理由は土地の権利関係を整理できなかったことにある。尊氏の執事だった高(こうの)師(もろ)直(なお)が天皇など木か金属の像でもいいと公言しながら、それでも天皇を廃絶しなかったのは、室町時代の武士は、土地の権利をめぐる論理として、「職の体系」以上のものをまだ構築できなかったからなのである。

では、「職の体系」が完全にくずれたのはいつかというと、それは戦国大名が誕生したときだ。戦国大名は自分の領地は自分で守り、収入も全部一人占めにする。中央に税を払うことはない。「ここにおいて、『職の体系』は否定され、新たな土地所有の権利が確立するのです」。

しからば、こうした「職の体系」→「全的土地私有」という転換が完成したのはいつなのか。それは西を向いた商業資本的な豊臣政権とは反対に、東を向いた農業資本的な徳川幕府が江戸を首都に選んだときである。「関東地方、それからほとんど手つかずで放置されてきた東北地方を開発していけば、国は十分豊かになると家康は考えたはずです」。

以上の土地制度から説明する日本史にトッド的家族システム論を被せれば次のようになるだろう。徳川幕府がうまく回転したのは、北東日本で土地私有=世襲制度により直系家族が確立されたからである。いっぽう、西南日本では「職の体系」が潜在的に残存していたため日本古来の双処的核家族が残りやすく、それが西南雄藩などで商業資本の発達を促したが、明治以降、商業資本も北東日本に移ったため、衰退が始まった。かくて、私の家族システム的日本史の結論は本書のそれと一致する。

私は今の日本の行き詰まりの一因は、西の弱体化にあるのではないかと危惧します
 
日本史のツボ  / 本郷 和人
日本史のツボ
  • 著者:本郷 和人
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:新書(222ページ)
  • 発売日:2018-01-19
  • ISBN-10:4166611534
  • ISBN-13:978-4166611539
内容紹介:
土地、宗教、軍事、経済、地域、女性、天皇。七大テーマを押さえれば、日本史の流れが一気につかめる。人気歴史学者の明快日本史。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。


×月×日

トッドの家族人類学を理解するのに不可欠なのが地理学である。しかし、地理の知識としては高校の時に地理を学んだくらいで、はなはだ心もとない。かくてはならじと書店の地理学コーナーをのぞいたところ、水野一晴『自然のしくみがわかる地理学入門』『人間の営みがわかる地理学入門』(ともにベレ出版 1800円+税)が目についた。自然地理学と人文地理学の簡単な参考書風の造りだが、河合塾でサテライト授業を担当した経験もある京大教授の著作だけあって、分かりやすい上に専門知識も得られるという素晴らしい地理学入門書である。中でもしっかりと頭に入れておいたほうがいいのが、著者が予備校講師時代に作成したという農作物の栽培条件の図1‐1。縦軸が生育期の気温で横軸が年間降水量。超高温多雨(天然ゴム・カカオ豆・コーヒー豆)、高温多雨(ジュート・茶)、高温中雨(サトウキビ)、高温少雨(綿花)、中温多雨(米)、中温中雨(トウモロコシ)、低温少雨(冬小麦・春小麦)、超低温少雨(大麦・えん麦)、年降水量500㎜以下の超少雨(牧畜)。「農作物は植物であり、それぞれ適した気候条件がある。その気候条件を満たしたところがもともと野生していた場所で、そこから同じような気候条件の場所に[ヨーロッパ列強の植民地化で]伝播していったのである」。この図が威力を発揮するのがアングロアメリカ(北米)の農業分布である。

図1‐8のアングロアメリカの農業地域の分布図を見ると、アメリカ合衆国のど真ん中に年降水量500㎜の線が入っている。この500㎜ラインより西側が500㎜以下で乾燥、東に行くにつれて降水量が増える。図1‐1で500㎜以下は牧畜になっている。農作物を作るには降水量が500㎜以上必要であり、500㎜以下であれば牧畜を行うしかない。そのためこの500㎜ラインより西側は、放牧地帯すなわち肉牛を飼う企業的牧畜地帯となる。(中略)図1‐1に従えば、降水量が500㎜より少し多くて気温が温暖であれば綿花、冷涼であれば小麦である。とくに冬が寒い地域では冬を越さない春小麦となる。図1‐8のアングロアメリカの農業分布も、北から春小麦地帯、冬小麦地帯、綿花地帯となっている。ただし、綿花地帯では連作障害を抑制するために、土壌の窒素固定を促すマメ科のダイズも植えて、地力の向上を図っている。図1‐1で綿花や小麦よりもう少し降水量が多いところに適するのはトウモロコシだ

ふーむ、図表を掲示できないのが残念だが、なにごとも専門家が築き上げた堅固なチャートが頭に入っていれば、応用はいくらでも可能だということの良い例である。定年退職後に世界旅行を企てたいと望む人の予習に最適な本。

自然のしくみがわかる地理学入門 / 水野 一晴
自然のしくみがわかる地理学入門
  • 著者:水野 一晴
  • 出版社:ベレ出版
  • 装丁:単行本(255ページ)
  • 発売日:2015-04-16
  • ISBN-10:4860644301
  • ISBN-13:978-4860644307
内容紹介:
本書は地形・気候・植生について「なぜそうなったのか」という視点で、自然の不思議や疑問を明らかにする自然地理学の入門書です。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

人間の営みがわかる地理学入門 / 水野 一晴
人間の営みがわかる地理学入門
  • 著者:水野 一晴
  • 出版社:ベレ出版
  • 装丁:単行本(293ページ)
  • 発売日:2016-03-18
  • ISBN-10:4860644670
  • ISBN-13:978-4860644673
内容紹介:
農業・人種・民族・言語・宗教・都市・人口などについて、豊富な写真・図版や著者の体験とともに具体的に解説した人文地理学入門。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

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週刊文春 2018年2月14日

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