自分の内部、諦念交えて洞察
最初にこう書いてある。「死の日まで、と思って書く。いま七十四歳。でも、四十八歳としよう。パリへすっかり行ってしまった年齢だ。あの時に私は居なくなったのだから」と。日付は2006年6月15日。記述は、5年ほど続いた。死の直前まで、とはいかなかったが、2010年までの「終りの日々」が静謐な筆致で綴られている。
フランスの修道院で暮らした日々への追憶、愛するフランスの作家や思想家たちのこと、いま生きている自分をどのように捉えるか、といった、自分の内部を深く洞察するような文章がほとんどだ。どこか、諦念も交じっている。
作家自身はもう少し手を入れる意志があったようだが、ほぼ原文のまま、という。
とにかく、フランス、いやヨーロッパにいたかった人なのだな、というシンプルな感想しか浮かばない。高橋たか子は「この世」と合致しない(そう書いている)。ヨーロッパにも「この世」はある。だが、その「この世」は底が抜けて、その先に純なものがみえる、と高橋は書いている。思い出だけを虚飾を排して書き残す姿勢が、心に残る。