書評

『自己中心の文学―日記が語る明治・大正・昭和』(博文館新社)

  • 2017/09/02
自己中心の文学―日記が語る明治・大正・昭和 / 青木 正美
自己中心の文学―日記が語る明治・大正・昭和
  • 著者:青木 正美
  • 出版社:博文館新社
  • 装丁:単行本(283ページ)
  • 発売日:2008-09-00
  • ISBN-10:4861151627
  • ISBN-13:978-4861151620
内容紹介:
日記文の真価は自己中心の描写にあり。日記-記録。独白。そして体から出た汗のしずく。

大の日記マニアが描く、もう一つの出版史

昭和三〇年代くらいまでの日本人はじつに日記が好きだった。人格の陶冶(とうや)を目的とする修養というエートスが支配的だったためで、『ジャン・クリストフ』が広く読まれていた時代精神と呼応している。軍隊でも日記をつけることを奨励した結果、太平洋の戦場跡に残された日本人将兵の日記がアメリカ軍によって解読され、作戦が筒抜けになっていたなどという笑えないエピソードさえある。

ところで、こうした日記の隆盛は、明治二〇年代の末に博文館が「当用日記」と名付けた市販の日記帳を大量に売り出してからということになっているが、当用日記の歴史を洗った本書の第一部「本邦日記帳事始め」によると、大蔵省印刷局が印刷した『明治十三年当用日記簿』が日本の市販日記の始まりというのが正しいようだ。ちなみに、当用日記とは「日々の雑多なことを書く日記」のことで、巻末に会計表や各種の便利ページと広告が入っているのを特徴とするが、これはフランスでアシェット書店やボン・マルシェ・デパートが発行していたアジャンダにヒントを得たのではないか? 日本に持ち込まれた西欧型の市販日記第一号が福沢諭吉が一八六二年にパリで買ってきたものというから、推測はそれほど外してはいないはず。

ところで、近代作家の自筆原稿・書簡・日記などを扱う古書店主の著者は、中学時代に先生から日記を書くように命じられて以来、七十四歳の今日まで六十年間も日記を書き続けてきたという大日記マニアで、その一部が『青春さまよい日記 東京下町1945―1951』として刊行されている(これは赤裸々日記の傑作!)が、一方で、他人の遺(のこ)した日記にも強い関心を抱き、建場(たてば)(廃品回収業の元締め)回りをしながら、紙屑(かみくず)の山の中から未知の人の日記帳を探すのを常としていた。また、古書店主として成長し、明治古典会の経営員となってからは文筆家の日記の発掘に努めた。本書の第二部「名家の日記」と第三部「無名人の日記」は、こうした日記発掘の努力のたまものだが、圧巻は後者の「無名人の日記」。人目に触れることをまったく意識していない自己中心性が妙に読む者を感動させるからだ。

たとえば、老舗教育出版社の取締役が、若き日の教員時代に同僚の女性教員と不倫関係に陥りながら二人で書き綴(つづ)った交換日記(とりわけ女性のパート)は、むしろ「交歓日記」ともいうべきエロティシズムに満ちている。「(これからは破いて下さい)強い抱擁、どこを接吻されても出来るだけ長くされたいと、こひねがひます。何ともいへぬただいい気持です。いい事、あたたかい事、どうしていいか分かりません。……」

これ以上は新聞という性質上引用しかねるが、著者が「大正末期、水戸で教師をしていた一女性がこれほどまでに大らかに、自らの性を表現していたことには、ただただ驚かされてしまう。いや、読む者を爽快(そうかい)な気持ちにさせずにはおかないほどだ」とコメントしている通りだろう。

もう一つの驚くべき日記は明治生まれの国文学者のそれ。この人物は四十歳のときに妻を病気で亡くしてからというもの、結婚紹介所を通して猛烈なる漁色を始めるのである。「それからの高木は、まるで阿修羅の如(ごと)くに“女あさり”に精を出した。(中略)筆まめな高木には、帰宅後、四、五名に手紙を書くなど朝飯前のことだった」

「文芸日記」「小学生日記」「婦人日記」「軍人日記」など各種の市販の日記の歴史を追った章は、日記の出版史として貴重な文献となっている。
自己中心の文学―日記が語る明治・大正・昭和 / 青木 正美
自己中心の文学―日記が語る明治・大正・昭和
  • 著者:青木 正美
  • 出版社:博文館新社
  • 装丁:単行本(283ページ)
  • 発売日:2008-09-00
  • ISBN-10:4861151627
  • ISBN-13:978-4861151620
内容紹介:
日記文の真価は自己中心の描写にあり。日記-記録。独白。そして体から出た汗のしずく。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2008年9月28日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

  • 週に1度お届けする書評ダイジェスト!
  • 「新しい書評のあり方」を探すALL REVIEWSのファンクラブ
関連記事
鹿島 茂の書評/解説/選評
ページトップへ