書評
『昭和史の謎を追う』(文藝春秋)
論争に紛れ込んだ“ウソ”
歴史における事実とは何か。はたしてそれは一義的に確定できるものなのか。実は歴史上有名な事件であればあるほど、多様な解釈が生じ論争の的となる。時にそれはアカデミズムの枠をこえて、ジャーナリズムや一般の人々の参入を促すほどの時の話題と化す。やがてそれらが相俟(あいま)って論争史を形成していく。著者は、昭和史上の軍事と戦争に関わる事件を時系列的にとりあげ、論争史の水先案内人の役割をかって出た。ここでは事実と推測とウソとを明確に腑分(ふわ)けする著者の歴史家としての力量を、充分に堪能できる。とりわけ俗耳に入りやすい陰謀史観に対するチャレンジが興味をひく。多くの場合、グレーゾーンが広がり一筋縄ではいかぬ事件の実態が浮かび上がるのだ。盧溝橋事件しかり真珠湾奇襲しかり。
また下山事件・松川事件の考察を通じて、松本清張『日本の黒い霧』における米軍諜報(ちょうほう)機関謀略説のフィクションとしての限界を、はっきりと指摘したのも注目に値する。さらに巷間(こうかん)よく言われる池田・ロバートソン会談の密約に触れて、現段階では密約が存在しなかったことを確認できるとした上で、密約説が日教組イデオロギーとして浸透した事実を明らかにしているのも面白い。
ところで、戦争責任論をめぐるホットな争点たる南京大虐殺や従軍慰安婦については、著者はきわめて率直にその事実を認める。その上で混在するウソを摘発する手際はなかなかのものだ。ザンゲ屋や詐話師の正体を知る時、歴史の証人の適格性を考えて意味深いものがあった。その他、「昭和天皇独白録」が天皇談の一部にしかすぎぬことを、「試みに独白録をゆっくり朗読して所要時間を測る」やり方で実証してみせた著者の姿に、プロとしての意地を感じないであろうか。
とまれ、上下二段組みで上下二冊合わせて八百頁になんなんとする大部の本であるにもかかわらず、どこからでも読める好著と言えよう。
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