書評
『金沢城のヒキガエル―競争なき社会に生きる』(どうぶつ社)
現代社会の矛盾を見事に映し出す、とびきり衣食の科学読物
とびきり異色の、感銘深い科学読物である。テーマとしては、金沢城址の池に棲息する何百匹というヒキガエルの行動観察ということになるのだが、これがなかなか一筋縄ではいかない面白さなのである。一九六〇年代の後半に水族館勤務から大学の生物学の教官に転身した著者は、折からの学園闘争に巻きこまれ、日中の研究時間も自由にならない環境下にあったが、そのころ生物学科の学生から金沢城の本丸跡にカエルが出没することを教えられ、行動調査を思い立った。というのはカエルは夜間出没する、至極のんびりした生物だからである。
カエルに標識をつけるには解剖鋏で四肢の指を各一本ずつ切り落とし、その位置を番号がわりにするそうな。ヘッドランプをつけて夜な夜な城内に出没し、カエルの指をパチンパチン切っている図は、いかにも浮き世離れしていておかしい。これを九年間も続けているうちに、彼らの知られざる生態がわかってくる。その中に、左後足のない身障カエルがいた。はじめて見たときは一歳半の小ガエルで、エサをつかまえたり繁殖活動に参加するにはハンディがあるが、それでも健気に生存し続け、毎年何度も再会することができた。
出会って六年目、いつもの場所で彼を見つけた。「しかし、何となくようすがちがう。ヘッドランプの光をまっすぐあてると、彼の下にもう一匹のヒキガエルがいるではないか。なんと、彼は遂に彼女を得ることに成功したのだ!」
ヒキガエルは極端にメスが少ないので、オスは非常な努力が必要である。メスが来そうな道に待ちかまえていても、十匹に一匹ぐらいの確率でしか目的をとげられないほどで、このカエルの場合は奇跡としかいいようがない。ちなみにカエルは交尾といわず、抱接というのだそうだが、オスがメスの脇腹をしっかり押さえこむ。周囲のオスが刺激されてか、その上に飛びつく。二匹、三匹と飛びついて、ダンゴ状になることもある。一匹ずつ剥がしていくと、なんと最後の一匹がオスであることもめずらしくない。通常は「オスだよ」という合図に鳴き声をたてるが、これをリリース・コールという(落語なら「天野屋利兵衛は男でござる」とでもいうところか)。
それはともかく、この健気なカエルは翌年も元気な姿を見せていたが、それが彼の姿を目にした最後で、どうやら八歳という平均寿命のあたりで大往生をとげたらしい。生存競争のはげしい生物の世界においては稀有の現象だが、どっこい、著者はそのような単純なことをいいたくて本書を著したのではない。
生物の世界は、じつはダーウィン以来唱えられてきたような、優勝劣敗の世界だけではなく、その気になって観察すれば、もっとノンビリした環境に悠々適応し、生を全うしている生物も多数いるのではあるまいか、というのが著者の考えなのである。だいたい人間様が勝手に近代以降の競争原理を生物世界にあてはめてしまったり、逆に生物の競争を人間自身にもあてはめたりして、競争社会を二重に正当化しているのではあるまいか。同じ見地から、著者は人間を遺伝子のタイプに支配されるとする社会生物学をも批判する。
このような著者が、返す刀で現代日本の過当競争を斬って捨てるとき、思わず快哉を叫びたくなると同時に、著者の深慮遠謀に気づくことになる。本書は小さな生命をユーモアと一抹の哀感をもって捉えた名随筆というだけではないのであった。生命の小宇宙という鏡に、現代社会の巨大な矛盾を見事に映し出すねらいを持った、独創的な文明論であり警世の書でもあったのだ。単なる学術書でもドキュメントでもない、もっと広いカテゴリーの本だ。文章も練達で諧謔味にあふれ、久しぶりに読書本来の楽しみを溝喫させられた。
【新版】
週刊文春 1995年12月
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