解説
『バンド・オブ・ザ・ナイト』(講談社)
誠実なロックンロール
一般に、人生というものは素面(しらふ)でやっていかないと駄目だと思われているが本当にそのとおりだと思う。泥酔して素面の人と殴りあいをしたら間違いなく負ける。財布を盗まれても酩酊していたら追いかけることができない。というか土台、財布を盗まれたことに気がつかない。酔って人に議論を吹きかけたところで言い負かされるか、「はいはいはい、そうそうそう。おまえの言うとおり」などとあしらわれ逆上し、「おまえらに俺の気持ちがわかってたまるかあ」と喚きながら殴りかかり逆にどつき回されるかである。
酒を飲んで盛り上がった揚げ句、結成した劇団、バンド、ユニットはなにもしないで物別れに終わることが多い。
という風にちょっと考えただけでも酩酊してよいことなどなにひとつなく、人生はやはり素面でやっていかないと駄目だというのは議論の余地のないことのように思えるのだが、一概にそうともいえぬかも知らんなあ、とも思うのは、本書『バンド・オブ・ザ・ナイト』を読んでしまったからである。
或いはジャンキー・中毒患者のこと。私は若い頃よりパンクという最底辺の歌手をしていた関係上、周囲にジャンキーとその予備軍みたいな奴輩が多かった。
最底であった。言っていることが訳がわからぬし、わからぬから説明しろというと言語では説明できないと言う。約束の時間に来ないし、来てもぐにゃぐにゃするばかりでちっとも間に合わない、役に立たない。仕事に行くと言って朝、家を出てそのまま真っ直ぐ私のところに来て夕方までぐにゃぐにゃして帰っていく者もあった。嫁の手前、仕事に行っているふりをしていたのである。
という風にジャンキーなど駄目だ、と思っていたのが、一概にそうでもないのかも知れないと思うのも、本書『バンド・オブ・ザ・ナイト』を読んでしまったからである。
作者の分身と読める主人公・大島が、「この世界なら食えるかもしれない」と判断し、コピーライター講座の専門コースを受講する条、大島は現役の広告マンである講師に「認めてもらう」ため、オールバックにサングラス、革ジャンという「異質」な風体で出掛けていき、最初の課題である作文に、「蚊の目玉について」という風変わりな題の文章を書く。
着想といい文章といい才気が迸るようで、すでに後年の中島らも節が完成しているように思え、しかもまた、この文章は小説内では認めてもらうためにその場で考えて書いた文章ということになっているが、
つまり蚊の世界観は倒立しているのである。だから蚊にとって下降することは上昇であり、空高く昇っていくことは地獄くだりなのである。だからどう、ということは別にないのだけれど。
という部分は当時の作者が日々考え続けていたことのような気がしてならない。
なぜそう思ったかというと、本書において大島の日常は比較的読みやすい文章で綴(つづ)られるが、唐突に現れる、小説としては異様な、何頁にもわたるイメージの連鎖、言葉の連鎖の部分を読んだからである。
小説としてはこの部分は大島が酩酊したときの脳内に訪れるイメージとして読め、つまりだから素面の人間にとってはジャンキーの妄想、幻覚であるはずなのだけれども、驚くべきことにこの部分にそのような訳のわからなさというものはまったくなく、逆にすべてがおそろしく明白で、内閣総理大臣の所信表明演説などに比べてもはるかにその意味するところがわかりやすい。
これにいたって自分は素面とはそして素面の世界とはなんなのだろうかと遅まきながら思った。
(次ページに続く)
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