解説
『バンド・オブ・ザ・ナイト』(講談社)
素面ということは感覚が正常に作動しており、論理的に物事を考えられるということかも知れぬが、例えば近眼の人は天然自然に近眼である。素面の状態ではぼんやりとしか世界がみえない。眼鏡というエフェクターを装着して初めてくっきりした世界をみることができるのである。
ということは、俺は素面だ、と言って偉そうにしているがそんなものは近眼の人が眼鏡をかけないで、世界は平和だ、と嘯(うそぶ)いているようなもので、いざ眼鏡をかけてみると、すぐ目の前で兇悪な人が青龍刀を振り上げていままさに首を斬らんとしているかも知れぬし、虎が嫌な目でこっちをみているかも知れぬし、悪人が口では親切そうなことを言いながら飯や銭を盗んでいるかも知れぬのであり、或いは他人の家に土足で上がり込んでいたり、神聖な場所で立小便をしていたり、慈愛に溢れたマザーテレサみたいな人を知らないでどつき回したりしているかも知れぬのである。
つまりだから酔生夢死なんてなことがいってあるが、酩酊・ラリるということは訳がわからなくなってちゃんとした認識ができなくなるということと思われているがそうではなく、普段、わかりたくないしわからないことがわかってしまうことなのである。
また、人間というものは因果なものでいったん感知してしまった世界をなかったことにできず、誠実な人間であればあるほどその感知してしまった世界に対して誠意を尽くすべく、素面の人生の時間を感知してしまった世界に犠牲として捧げるのである。なんて倒立したことを考えてしまうほど、この小説は強い言葉の力を放っている。
そう君はフィクション。言葉が君のまわりを埋めつくしていって、君の真空の姿を露(あらわ)にする。君には存在する理由がない。君の真空の姿は言葉によってしか顕在化しない。だから言葉とは光だ。世界とは闇だ。おれたちはその闇の中でうずくまるか、のろのろ進むかする。走ったり、歌ったりはしない。ちびた鉛筆をなめながら記録者は記録する。今日のガスの匂いを。
右にも言ったがイメージが連鎖するくだりに不明確な言葉はただの一語もない。これらの言葉は作者と小説に登場する人物と読者たる我々を串刺しにし、いまのこの瞬間を現し、またすべての世界を現しているように思えた。
作者はこれらの言葉によってこの世のすべての断片を現し、しかも世界の断片たるそれらの言葉、フレーズは背後に厖大(ぼうだい)な時間と空間を有していて、つまり、作者は言葉によってこの世界そのものを現そうとしたのであり、そして驚くべきことに本書においてそれは完璧になされている。
私は世界にはここに書いてあること以外なにもないし、ここに書いてあること以外、なにも必要ないと思った。
ということはどういうことかというと読者である私の人生もすべてここに書いてあるということではっきりいってそれはおそろしいことであるし奇蹟である。
そんな奇蹟を可能にしたのは作者・中島らものまともさであり、誠実であると私は思う。
私は中島らもがテレビ番組に出演し、「本当のことを言ったら殺される。しかし自分は今後、本当のことしか言うつもりはない」と発言しているのを聞いたことがある。素面の社会の歪んだ鏡であるテレビ番組の司会者はその真意を測りかねている様子であったが、本当のことを言うというのはもっともまともで誠実な態度である。
みなが便宜を図りあい、とりあえずそういう前提という前提の元に、仮にそういうことでオッケーみたいなことにしておきましょう、みたいなバランスの元、みなが気を遣いあって生きている素面の社会で誠実であるためには常に酩酊している必要があるというのは本書を読んだいま、もはや逆説とは思えない。
蚊は上昇と下降を繰り返すことができるが、人間はふたつの世界を自在に往還することはできない。それどころかいずれどちらの世界にも住めなくなる。
ジャンキーの悲しみと無残はこの世の悲しみと無残そのものであるが、小さな広告代理店で働くようになり、クスリと手を切ってこの世に帰還した大島は、この世の便宜と無縁の六歳の子供の発した超越的な言葉に爆笑し、久しぶりに「ノルモレスト六錠」を服用する。通常の小説作家であればここぞと愁嘆な場面にするだろうが、本書にそのような湿っぽさはまったくない。誠実でありながらもロックンロールで爆発して、哄笑(こうしょう)に満ちている。稀有なことだと思う。
偶然だが私は作者のCDを持っていて本書を読む前にそのCDを聴いていた。
タイトルも『Don't Piss Around』というそのCDには、「キュート」など本書に登場する曲のモデルとなっているとおぼしき曲や、「首狩りママ」「左手の罪を右手があがなう」といった明らかに本書のイメージと通底する歌詞の曲が収録されていて、全編に横溢するロックンロール感を聴覚的に感じとることができてよかった。
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