書評
『日本語根ほり葉ほり』(新潮社)
気になる日本語を「独断と偏見」を持って「お茶を濁す」ことなく「根ほり葉ほり」詮索し、「べつに」「カンケイナイ」とうそぶく若者の「おしゃれな」言葉に小言を言い、「前向きに善処します」だの「厳粛に受けとめる」だのいう大人の言葉の「けじめ」のなさをも容赦なく暴きだす――「要約すると」本書は、「その辺のところ」が「結構きますよ」「なーんちゃって」。
実は「(カッコ)」のなかの言葉は、本書にとりあげられた言葉たちの一部である。
ふとしたきっかけから、著者が気になりはじめた言葉を追いかける、というスタイルで二十五の各章は成り立っている。語源に遡ってゆくこともあれば、世界の言語との比較に発展することもある。そこから見えてくるものは、日本語というよりも、日本人の姿そのものだ。
たとえば、なぜ「独断と偏見」という言葉が流行ったのか。それは著者に言わせれば「つまり、日本人は『独断』といわれ、『偏見』と攻撃されることを、ひどく恐れているから」なのである。
また「結構きますよ」の「結構」が持つ曖昧性を辿ってゆくと、「この世は自分の期待するようにはいかないのだから、いつも期待を抑え、結果を低めに設定しておくにしくはない、という心構え」にいきつくという。
そういえば私も「結構おいしい」だの「結構おもしろかった」だのと、よく使う。とびきりのおいしさや、抜群のおもしろさを期待していた場合には、こうは言わないだろう。
百パーセントを期待してしまうと、九十パーセント満足させられても、残り十パーセントでがっかりしてしまう。「失意や絶望に対して、たいへん臆病な」日本人は、はじめから六十パーセントとか四十パーセントぐらいに期待を抑える。すると八十パーセントのものがでてきても「結構よかった」となるわけである。
このように、本書は、さまざまな日本語を通しての日本人論、あるいは日本文化論と読むことができるだろう。それも、「今」の言葉が生け捕りにされ、観察されている点が興味深い。変わりゆく日本語を鏡にして、変わりゆく日本人が見えてくる。
時にそれは、冒頭にも記したように、辛口の小言や大いなる愚痴となって表れる。そこがまた、魅力。だって最近、ものわかりのいいオジサンが多すぎるんだもん。
【この書評が収録されている書籍】
実は「(カッコ)」のなかの言葉は、本書にとりあげられた言葉たちの一部である。
ふとしたきっかけから、著者が気になりはじめた言葉を追いかける、というスタイルで二十五の各章は成り立っている。語源に遡ってゆくこともあれば、世界の言語との比較に発展することもある。そこから見えてくるものは、日本語というよりも、日本人の姿そのものだ。
たとえば、なぜ「独断と偏見」という言葉が流行ったのか。それは著者に言わせれば「つまり、日本人は『独断』といわれ、『偏見』と攻撃されることを、ひどく恐れているから」なのである。
また「結構きますよ」の「結構」が持つ曖昧性を辿ってゆくと、「この世は自分の期待するようにはいかないのだから、いつも期待を抑え、結果を低めに設定しておくにしくはない、という心構え」にいきつくという。
そういえば私も「結構おいしい」だの「結構おもしろかった」だのと、よく使う。とびきりのおいしさや、抜群のおもしろさを期待していた場合には、こうは言わないだろう。
百パーセントを期待してしまうと、九十パーセント満足させられても、残り十パーセントでがっかりしてしまう。「失意や絶望に対して、たいへん臆病な」日本人は、はじめから六十パーセントとか四十パーセントぐらいに期待を抑える。すると八十パーセントのものがでてきても「結構よかった」となるわけである。
このように、本書は、さまざまな日本語を通しての日本人論、あるいは日本文化論と読むことができるだろう。それも、「今」の言葉が生け捕りにされ、観察されている点が興味深い。変わりゆく日本語を鏡にして、変わりゆく日本人が見えてくる。
時にそれは、冒頭にも記したように、辛口の小言や大いなる愚痴となって表れる。そこがまた、魅力。だって最近、ものわかりのいいオジサンが多すぎるんだもん。
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朝日新聞
朝日新聞デジタルは朝日新聞のニュースサイトです。政治、経済、社会、国際、スポーツ、カルチャー、サイエンスなどの速報ニュースに加え、教育、医療、環境、ファッション、車などの話題や写真も。2012年にアサヒ・コムからブランド名を変更しました。
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