解説

『ペルソナ―三島由紀夫伝』(文藝春秋)

  • 2017/09/30
ペルソナ―三島由紀夫伝  / 猪瀬 直樹
ペルソナ―三島由紀夫伝
  • 著者:猪瀬 直樹
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(478ページ)
  • 発売日:1999-11-10
  • ISBN-10:4167431092
  • ISBN-13:978-4167431099
内容紹介:
官途を辿った祖父と父にならい、若き日の三島由紀夫は大蔵省に勤めた。文壇への転身から衝撃的な割腹自殺に至るその後の人生を通じて、官僚一家の濃密な「血」は陰に陽に顔を覗かせる。『仮面の告白』に語られた「祖父の疑獄事件」とは何か?綿密な取材を通じて、天才作家の隠された素顔に迫る傑作評伝。

近代日本と官僚制、あるいは三島由紀夫

一九九五年の十一月、つまり三島由紀夫が自刃してから四半世紀後、本書の原本が出版されたとき、私は一読して、この本は三島の『鏡子の家』と同じように激しい誤解にさらされるのではないかと予感した。事実、これをたんなる三島由紀夫伝と誤読した文芸批評家たちのトンチンカンな書評が次々に現れた。褒めた者も貶(けな)した者も、著者のベクトルの方向を完全に読みちがえている点ではいささかも変わりなかった。彼らは、著者が三島由紀夫の自刃の瞬間の謎に迫るために、日本の近代史を強引にたぐりよせたと解釈したのである。

こうした誤解にいらだちを覚えた私は、毎日新聞の書評欄で次のような自分なりの読み方を披露してみた。

三島由紀夫の評伝である本書は、割腹自殺を大団円に置いた『近代日本と官僚制』という題の大河小説と見てよい。主人公は大蔵事務官平岡公威(三島由紀夫の本名)および父の農林水産局長平岡梓と祖父の樺太庁長官平岡定太郎。三代にわたる高級官僚の家系である。だが祖父は疑獄、父は無能、息子は文学によって結局、官僚機構の落伍者となる。

つまり、本書は、いかに三島由紀夫の内面の秘密に光が当てられていようと、全体としてのベクトルは、平岡家三代を巻き込んで展開してゆく「近代日本と官僚制」という外部に向かっている。平岡家三代をミクロで捉えることによって、「近代日本と官僚制」というマクロを浮かび上がらせることをねらった大河小説なのである。いずれにしろ、文芸批評という閉じられたサーキットに内向してゆくベクトルではなく、文明批評という外側へと開かれてゆくベクトルを感じ取ることが大切なのである。

こうした外側へ向かうベクトルを支えるのが、この「大河小説」の脇を固める副主人公たち、すなわち、主人公たちと途中まではコースを同じくしながら、途中から枝分かれした運命の道を歩むことになる分身的人物である。平岡家一代目の祖父定太郎には、「平民宰相」原敬、二代目梓には昭和の妖怪岸信介、三代目公威には元大蔵事務次官長岡實が配される。挫折した官僚一族である平岡家三代の「私」に対して、これら功なり名を遂げた副主人公三人は「公」を代表している。

この「公」という補助線が重要なのである。なぜなら、この補助線によって、平岡家三代というミクロが、近代日本の官僚制というマクロにフィードバックされて、それまで解明されることのなかった新たな相貌が現れることになるからである。このフィードバックの構造こそが「大河小説」たるゆえんなのである。



ところで、大河小説といえば、たいていは悠揚迫らざる筆使いで、祖父や曾祖父の代の一見無関係なエピソードから語り始めるものと相場は決まっている。本書もこの定石に則って、大正十年(一九二一)、東京駅頭で「平民宰相」原敬が暗殺されるところから説き起こされる。

だが、なぜ、原敬暗殺が大河小説の発端に選ばれたのか? 原に暗殺の計画ありと警告した人間がいて、それが三島由紀夫の祖父平岡定太郎だったからである。

原敬の暗殺を予期した人物がいた。

殺される八カ月ほど前、原は日記に、暗殺の危険を説く男の来訪を記している。大正十年二月二十日夜の来訪者は岡崎邦輔(くにすけ)と平岡定太郎(さだたろう)である。

平岡定太郎は、政友会総裁原敬の懐刀の一人で、原敬に取り立てられ樺太庁長官という重責を担っていた人物だが、その平岡定太郎がどういう経路で原敬の暗殺計画を知ったのか? ここに大きな謎が生まれる。この謎がストーリーを駆動させる力を持つ。

このように、猪瀬直樹の作品は、だれもが知っている歴史上の人物と、その本の主役である一私人を意外なところで意外な形で結びつけ、そこに謎を設定するという山田風太郎風のストーリーテリングを特徴としている。ただ、その結びつきが、空想ではなく、徹底した史料の発掘と分析、調査と面接取材によって行われるという点が彼の持ち味なのである。

ノンフィクションを、事実と事実を結ぶ隠れた線(謎)を発見して、そこから仮説を構築し、その仮説をひたすら事実によってのみ証明してゆくものと定義すると、一般的には、仮説を証明する事実の収集のほうが重要だと思われている。ところが、ノンフィクションにとって一番重要なのは、じつは、通説を打破するような仮説そのものを構築する想像力なのである。この仮説的想像力のあるなしで、そのノンフィクションがたんなる個別研究に終わるか、あるいは逆に大河小説的な文明論にまで発展するかが決まる。



では、本書で、著者が平岡定太郎と原敬の間に設けた仮説とはどんなものだったのか?

原敬と平岡定太郎の関係は、象徴的な意味を帯びている。ここに『政』と『官』の今日にまで通底するすべてがある。だから掘り下げるのだ。

平岡は原の野心のために樺太へ向かわせられた。原の野心とはなにか。小沢一郎の『普通の国』ではないが『普通の権力』をつくろうという野心である。

では普通の権力とは、なにか。(中略)

地縁、血縁を清算すれば、冷たく乾いた合理的なシステムが生まれる。ひとつが政党である。もうひとつは、近代的な官僚機構である。

この二つをすり合わせひとつのシステムに練り上げようとする革命を、原は目指した。政党は選挙に勝って議会で多数を占めなければならない。選挙に勝つためにはおカネが要る。

原敬は、このカネ集めの基礎組織として、官僚機構に注目した。なぜなら、官僚機構には公共事業などの利権構造が集中するから、この網を握ればカネはおのずから集まってくるからである。

原敬は「政」と「官」のすり合わせを、平岡定太郎に代表される、薩長閥とは無縁なエリート官僚を取り立てることで行おうとしていたのである。

平岡定太郎はこの期待によく応えようとするが、度重なる政変によって、志を果たせず、政友会の利権のために陰の部分を担うようになる。そこから、冒頭の暗殺計画の通報となるわけである。



しかし、これだけだったら、日本近代政治の裏面史の記述にすぎない。本書が明治大正昭和を結ぶ「大河小説」となるのは、この裏面史が突如、『仮面の告白』の「祖父が植民地の長官時代に起った疑獄事件で……」という、祖父のことがたった一か所記述された箇所を媒介にして、作家三島由紀夫の内面の秘密へと接続される瞬間からである。

すなわち、著者は、そこに、三島由紀夫が明治の官僚である平岡定太郎にまつわる記憶を封印しようとする意志を読み取り、これが三島由紀夫の割腹自殺に至る軌跡の原点であると見る。いいかえれば、これまでヒステリー気味の祖母夏子によって「幽閉されていた」幼年時代を探ることで解明されたと見なされた三島由紀夫の無意識の構造に、もうひとつ、いまだ開かれていない部屋があり、そこにこそ、割腹自殺へと通じる謎が封じ込められているという第二の仮説を持ち出すのである。

もし、平岡定太郎が樺太庁長官から順調にキャリアの階段を上り、華族の称号まで手にいれる成功者だったら、三島由紀夫がみずからの家系に恥ずかしさを抱いてこれを抹殺しようと図ることもなかったかもしれない。だが定太郎はキャリアの階段を滑り落ち、否定的な記憶しか残さなかった。しかも、その挫折が妻夏子のヒステリーを悪化させ、三島由紀夫自身の幽閉を招いて、彼の同性愛的傾向を生んだのであるから、三島由紀夫でなくともこれを抑圧したくなるだろう。

そして、この出自の抑圧が『仮面の告白』の隠れたモチーフになっていると著者は解釈する。

その[仮性同性愛者としての]自分とは、祖母夏子の部屋の囚人として過ごした環境の産物だ。

その祖母を狂おしく追い詰めたのは元内務官僚の祖父定太郎であり、さらに元農林官僚で消極的ニヒリストの父親梓である。([]内筆者)

しかし、疑獄に巻き込まれたり、詐欺罪で逮捕されたりした祖父ならともかく、たとえ無神経で文学には無理解な暴君だったとはいえ、かりそめにも高級官僚として局長にまでなった父もまたこの秘密の部屋に封印されねばならない人物なのだろうか? しかり、というのが著者が導き出したユニークな答えである。ただし、梓という人物の人となりによってでなく、その裏返しの陰画的なある人物によって、である。

山県有朋や伊藤博文が明治政府の骨格をつくったとすれば、原敬は第二世代のリーダーで大正時代を華々しく駆け抜けた。定太郎も、その中に含まれる。そして定太郎の息子、平岡梓の世代が昭和時代を築くはずだった。

主役は農商務省で廊下トンビばかりしてロクに仕事をしない消極的ニヒリストの梓ではなく、農商務省同期入省(大正九年)の岸信介だった。

だが、それにしても、平岡梓の陰画として、なぜここで岸信介が登場するのか? それは、岸信介が革新官僚として満州国で練り上げた統制経済的国家体制、つまり日本的官僚制が、戦中というよりもむしろ戦後の昭和三十年代になって急速に威力を発揮しはじめ、三島の描いたのとは異なる日本のイメージを作り出してしまうからである。



岸信介の作った官僚制が敗戦によって機能しなくなった昭和の二十年代は、三島由紀夫にとってある意味で黄金時代であった。祖母によって幽閉された自我を文学によって取り戻すことに成功した三島由紀夫は、文学的な名声を得たことで、前半生において剥奪されていた健康や女性に対する能動性を回復する。

私は個人的には、昭和三十年代初頭の『小説家の休暇』に描かれた頃の自信にあふれた三島が最も好きだが、この自信がX嬢との肉体的恋愛によって支えられたものだとは初めて知った。これは三島由紀夫という人間をある程度理解している者にとっては十分に説得的な説である。そして、その回復された自信をもとにして書かれたのが『金閣寺』であるというのも納得がいく。

『仮面の告白』も、『金閣寺』も、いわゆる私小説ではない。だがどちらも『私』が投影され、『私』の自己回復のために書かざるを得なかった作品の系列に属する。

園子に対して、率直に、肉体として迫れなかったのにX嬢を得たいまは『生きよう』という結論に達したのだ。では燃やさなければならなかった金閣とは、作者にとって何であったか。

ここから、著者は、この「大河小説」のクライマックスである「燃やさなければならない金閣」の「究竟頂(くきょうちょう)」の寓意の解釈に入ってゆくのだが、その解釈の当否は読者に委ねるとして、われわれは差し当たり、「大河小説」のミクロとかマクロが『金閣寺』でどのように交錯するかだけを確認しておこう。

三島は『金閣寺』で、ある矛盾を抱えた。主人公は究竟頂の扉の前で拒まれた。拒まれたのは、じつは主人公ではなく生き延びて日常性に飼い馴らされようと求める三島なのであった。

日常性、これこそが三島由紀夫の最大の敵であった。なぜなら、かつて敗戦で息の根をとめられたかに見えた日本の官僚制が、岸信介の政界復帰と統制経済の焼き直しである「生産力倍増十ヵ年計画」によって蘇り、凡庸な日常性をひっさげて巨大な壁のように立ちはだかってきたからである。三島由紀夫はこの壁を『鏡子の家』の中で描くことで打ち破れると確信していた。

岸が生産力倍増を諮問した三十四年五月、三島の金ピカのアグリーな新居が落成した。『鏡子の家』の脱稿は六月末である。鏡子のサロンから青年たちが姿を消し、夫が帰ってきて日常生活が回復する。岸が甦り、『官』が計画を練り、欲望と消費の”黄金の一九六〇年代”の始まりと歩調を合わせて。

『鏡子の家』は無残な失敗作と評価され、三島由紀夫の戦略は根本から狂うことになる。「大河小説」においては、ここから、三島由紀夫というミクロが日常性というマクロに徐々に侵食されてゆく過程が描かれる。

そのあげく、三島は、思いもかけなかったジョーカーのようなマクロすなわち天皇を取り出して、この日常性(官僚制)という最強のマクロに待ったをかけようとする。

こうして官僚たちが設計してきて、これからも設計しつづけるだろう終わりなき日常へ、一気に零(ゼロ)を掛けることの出来る切り札、それが天皇、というあらためての発見ではなかったか。

平岡家三代というミクロと官僚制というマクロがフィードバックしあって見事な読み物にしあがった大河小説「近代日本と官僚制、あるいは三島由紀夫」は、今日もなお増殖を続けてやまない官僚制という日常性へ、著者自身が渾身の力を込めて投げつけた抵抗の書でもあるのだ。

【この解説が収録されている書籍】
解説屋稼業 / 鹿島 茂
解説屋稼業
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(238ページ)
  • 発売日:2001-08-00
  • ISBN-10:479496496X
  • ISBN-13:978-4794964960
内容紹介:
著者はプロの解説屋である!?本を勇気づけ、読者を楽しませる鹿島流真剣勝負の妙技、ここにあり。

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ペルソナ―三島由紀夫伝  / 猪瀬 直樹
ペルソナ―三島由紀夫伝
  • 著者:猪瀬 直樹
  • 出版社:文藝春秋
  • 装丁:文庫(478ページ)
  • 発売日:1999-11-10
  • ISBN-10:4167431092
  • ISBN-13:978-4167431099
内容紹介:
官途を辿った祖父と父にならい、若き日の三島由紀夫は大蔵省に勤めた。文壇への転身から衝撃的な割腹自殺に至るその後の人生を通じて、官僚一家の濃密な「血」は陰に陽に顔を覗かせる。『仮面の告白』に語られた「祖父の疑獄事件」とは何か?綿密な取材を通じて、天才作家の隠された素顔に迫る傑作評伝。

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