なぜ太宰は恩人・井伏鱒二を遺書で悪人呼ばわりしたか
太宰治の生涯なら波瀾万丈だから小説になる。しかし井伏鱒二となるとどうだろう。地味な評伝はむろん成り立つし、日本文壇史にも重要な役を担って登場できる。でも小説にはなりそうもない。猪瀬氏の『ピカレスク』は、太宰治が宿命的に起こして歩いたさまざまな波瀾に、これまた宿命的に巻き込まれつづけた十一歳年長の井伏鱒二を、私の知るかぎりはじめてノンフィクションの副主人公に据えた本だ。たとえば──
あの森鷗外の史伝『伊沢蘭軒』に、若き日の井伏が新聞連載中に匿名の手紙でクレームをつけ、逆に鷗外から手きびしい反論を食らう。早稲田の学生だったころ、片上伸教授の同性愛の“魔手”にかかりそうになる。作品でいえば、井伏の代表作『山椒魚』は、実は十九世紀ロシアの風刺作家シチェドリンの『賢明なスナムグリ』をまぎれもない種本にしている。
そもそも直木賞受賞作『ジョン万次郎漂流記』からして、博文館が出した「少年読本」シリーズの一篇、石井研堂著『中浜万次郎』を下敷きにしたものだ。(猪瀬氏はもちろん証拠を提出している。原文の文語体を口語体に直しただけの一節が引用され、資料不足から石井研堂の冒した間違いを井伏がそのまま踏襲している部分も列挙されている。)昭和十七年、宣伝班の一員としてシンガポールにいた井伏が、将軍山下奉文(ともゆき)に大喝されるシーンなど迫力充分だ。
ピカレスクという表題についていうと、十六、七世紀にスペインで流行した「悪漢小説」をフランス語で「ロマン・ピカレスク」という、そこから取ったものだろう。(ペテン師を意味するスペイン語「ピカロ」がさらに元にある。)猪瀬氏はこの本で太宰治を「悪漢」になぞらえた。太宰文学を浅読みすると、この人が人生と文学の殉教者に見えることもあろうが、実際の津島修治は、どうしてそんな綺麗ごとで片付くような人物ではない。最初の妻初代への対し方ひとつ見ても、そのことはしかと腑に落ちる。この本の大事な読みどころだ。
井伏鱒二という作家は、原爆の広島を扱った『黒い雨』で国際的評価を得た。私自身のことをいわせてもらうと、はやばやと他界した俳優兼演出家・早野寿郎がかくべつな井伏ファンで、大学生のころ、二人してよくこの作家を話の種にしたものだった。『夜ふけと梅の花』という短篇が私はことさら好きで、冒頭の部分などあちこち今でもそらで言える。その井伏の『遙拝隊長』と『本日休診』のどちらを採るかと訊かれれば、昔も今も私の好みは『本日休診』のほうへ傾く。『黒い雨』でこの作家は少々尊敬されすぎたきらいがある。御本人もけっこう辛かったのではあるまいか。
井伏の短篇に、釣りに行って青年たちに囲まれ、テグスがわりに白髪を抜き取られる話がある。事実を淡々と叙したとしか読めない作品なのに、実はこれが完全なフィクションなのだという。(たしか作者自身がそう証言している。)不遇だった青年期を通じて、井伏鱒二は少しずつ、しかし確実に、外柔内剛の人間へと成長していった。想像以上にしたたかな作家だったと言いなおしてもいい。
太宰の情死後、「みんな、いやしい慾張りばかり。井伏さんは悪人です」という走り書きがみつかった。生涯の恩人でもあるはずの井伏鱒二に、太宰はなぜそんなみもふたもない言葉を投げつけたのか。『ピカレスク』はまさにその謎の解明へ向かって話を進めている。なぜ? どうして? という気分を読み手に抱かせつづけるのは、譚(はなし)作りの正道だろう。
名作中の名作とされる『山椒魚』に種本があったというのは、少なくとも私には初耳で、参ったなあという独りごとが出てきてしまう。しかし、事実は直視しなければならない。良薬は口に苦しか。