書評

『ガルガンチュアとパンタグリュエル』(筑摩書房)

  • 2017/10/06
ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉  / フランソワ・ラブレー
ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉
  • 著者:フランソワ・ラブレー
  • 翻訳:宮下 志朗
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(508ページ)
  • 発売日:2005-01-01
  • ISBN-10:448042055X
  • ISBN-13:978-4480420558
内容紹介:
フランス・ルネサンス文学を代表する作家フランソワ・ラブレーの傑作大長編、待望の新訳版。この巻では、巨人王ガルガンチュアの誕生・成長と冒険の数々、さらに戦争とその顛末が、笑いと風刺を織り込んだ密度の高い文体によって描き出されてゆく。現代的センスあふれる清新な訳文から、不朽の物語の爆発的な面白さと輝かしい感動が楽しく伝わってくる。

フランソワ・ラブレー(François Rabelais 1483?-1553)

フランス・ルネサンスを代表するひとり。修道士を経て医者となる。『第二之書パンタグリュエル物語』(1532)、『第一之書ガルガンチュワ物語』(1534)、『第三之書パンタグリュエル物語』(1546)、『第四之書パンタグリュエル物語』(1548、ただしこれは不完全版。完全版は1552)を発表。死後出版の『第五之書パンタグリュエル物語』(1564)は、ラブレーの筆によるものではなく、偽作といわれる。

introduction

ぼくがラブレーの名を知ったのは浪人のころで、教えてくれたのは同人誌仲間のIさんだ。ふたつかみっつ歳上の彼女は、偏った読書しかしていないぼくを憐れんでか、アラン・シリトーとかフィリップ・ロスとかジェイムズ・ジョイスとかの本を紹介してくれたのだが、ラブレーに関してはなぜか「ラブレーラブレー」と唱えるばかりで、現物を貸してくれなかった。もしかすると、ぼくにラブレーなど読ませるとトンでもないところへいってしまうと思ったのかもしれない。けっきょくシリトーもロスもぼくの身にならず、ジョイスについて考えられるようになるまではそれから長い時間が必要だった。その当時、岩波文庫のラブレーは重刷が途切れていた時期で、古書価があがっていた。一冊ずつ拾いあつめ、全五巻が揃ったときは嬉しかったなあ。

▼ ▼ ▼

若い友人と飲んでいたときのこと。ディーン・クーンツだかリチャード・マティスンだか、ぼくがまだ読んでいない作品の話題になり、「ふつうにおもしろいですよ」と言われて、「それって、たいしておもしろくないってことだよね」と返したら、イヤな顔をされた。偏屈なオヤジですまぬ。しかし、こと小説に関しては、ふつうにおもしろいなんてのは語義矛盾じゃないか。料理だったら「ふつうにおいしい」でもかまわないし、風呂に入って「ふつうに気持ちいい」ってのも(表現としてはちょっとヘンだが)わかる。こうしたフィジカルなことがらについては、むしろふつうであることが大切であって、あまり極端だと人間の耐性を超えてしまう。だが、小説はそうじゃない。ふつうじゃないからこそ、おもしろいのだ。度はずれていたり、尋常でないことが、価値である。

本書で取りあげているのも、そういう小説ばかりだ。それは、かならずしも実験的だとか前衛的だとかいうことではない。ふつうじゃない文学は、ずっと前から書かれてきた。ラブレーの『ガルガンチュワ物語』『パンタグリュエル物語』など、その好例といえよう。発表されたのは十六世紀半ば。あまりにむかしのことなので、初刊本の現物はほとんど残っていない。五巻本のうち、最初の二冊については、正確な刊行年度が特定できないほどだ。しかし、この作品の破格さ、衝撃力は、そんじょそこらの現代文学では太刀打ちができない。

ガルガンチュアというのは、もともとフランス各地の中世民間伝承にあらわれる巨人の名前であり、パンタグリュエルというのもおなじく小悪魔の名前だ。ラブレーはそれを主人公の親子の名前に採用し、ルネサンスの光に満ちた豪快な物語を仕立てた。巨人という設定もそのまま流用されている。

この作品の妙味は、誇張と駄洒落とペダントリイ、それにナンセンス言葉の奔流がいっしょくたになった、ものすごい文章にある。まあ、「文章読本」や「ベストセラーの書き方」などでは、ぜったいに教えてくれないだろう。たとえば、ガルガンチュワが学問を修めようとお供を引き連れてパリに来たくだり。物見高いパリ市民にうるさくつきまとわれた彼は、ノートルダム寺院に腰をおろすと、おもむろに股袋をはずしていちもつを取り出すや、見物人めがけて勢いよく黄金の雨を降らせる。

(略)そのために溺れ死んだ者の数は、女や子供を除いて二十六万四百十八人であった。

これらの連中のうちの何人かは、脚が早いお蔭で、この小便の洪水から逃れ出て、汗をだらだら、咳をこんこん、唾をぺっぺっと吐きながら、息も切れ切れになって大学の丘の頂上へ辿りついたが、或る者は、かんかんに怒り、或る者は、笑いこけながら[par rys(パリ)]、神も仏もあるものかと喚き立て、呪詛の声をあげ始めた。

「加利魔理(カリマリ)・加利魔羅(カリマラ)! やれ聖女マミカ様、冗談ごと[par rys(パリ)]からすっかり濡れ鼠にされてしまったわい」と。こういうところから、それ以来、この町はパリParis と名づけられたわけだが、以前にはリュセースLeuceceと呼ばれていたのであり、これはストラボンが第四巻で記している通り、ギリシヤ語で「白きもの」の義であって、この土地のご婦人方の真白い腿に因んでかくは呼ばれたのである。

おおらかなスカトロジーや平気で人が死ぬところもラブレー作品の特徴だが、そうした内容面以上に、二十六万四百十八人なんてやたら詳しい数字をあげたり、パリという地名がどうしたという物語にはぜんぜん関係のない蘊蓄を披露したりという表現が愉快だ。これなどは、まだおとなしいほうである。長すぎて引用できないのが残念だが、詭弁学者がガルガンチュアにノートルダム寺院の鐘を返してもらうためにした演説とか、パンタグリュエルの前でふたりの大名が繰りひろげた論争などは、その饒舌ぶりといい、酔っぱらったような論理のつながりといい、すさまじい。なにがなにやらわからないが、だからこそおもしろい。
「現代にあっては博識そのものが幻想である」というのは、ジョージ・スタイナーがホルヘ・ルイス・ボルヘスにふれて述べた言葉だが、それはべつに現代にかぎったことではない。物語の進行から脱線してラブレーが書き散らす博識は、形而上学、神学、法学、占星学、解剖学、地学、植物学など、多岐におよぶ。それも言ったきり放りっぱなしでちっとも片づけないから、もう足の踏み場もない。

まさに書きも書いたりだが、渡辺一夫による日本語版は訳しも訳したりというほかない。ちなみに渡辺一夫は、わが国におけるルネサンス文化研究の第一人者にして、ラブレーに生涯を捧げたといえるほど打ちこんだ人物である。かつて大学の先生の翻訳というと、こなれていない日本語の代名詞のように言われたが、渡辺一夫によるラブレーは「こなれた/こなれていない」などという水準を超越している。ひとつの驚異である。その訳文の名調子は先の引用からも伝わるだろうが、訳注がまたすばらしいのだ。膨大な分量に最初はたじろぐが、読んでみるとじつに味わいがある。ラブレーの博識に訳者の博識が加わって、幻想の相乗効果だ。

物語そのものにふれる余地がなくなってしまったが、この小説はストーリイを要約してもあまり意味がない。巨人親子とその一党がいく先々でハチャハチャ波乱万丈破天荒を巻きおこす――とだけ言っておこう。しかし、おなじことを繰りかえすようだが、これほど滅茶苦茶な小説が四百何十年もむかしに書かれていたとは。近代から現代にいたる文学史は、しょせん『ガルガンチュワ物語』『パンタグリュエル物語』の脚注にすぎないとさえ思えてくる。

【この書評が収録されている書籍】
世界文学ワンダーランド / 牧 眞司
世界文学ワンダーランド
  • 著者:牧 眞司
  • 出版社:本の雑誌社
  • 装丁:単行本(397ページ)
  • 発売日:2007-03-01
  • ISBN-10:4860110668
  • ISBN-13:978-4860110666
内容紹介:
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ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉  / フランソワ・ラブレー
ガルガンチュア―ガルガンチュアとパンタグリュエル〈1〉
  • 著者:フランソワ・ラブレー
  • 翻訳:宮下 志朗
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:文庫(508ページ)
  • 発売日:2005-01-01
  • ISBN-10:448042055X
  • ISBN-13:978-4480420558
内容紹介:
フランス・ルネサンス文学を代表する作家フランソワ・ラブレーの傑作大長編、待望の新訳版。この巻では、巨人王ガルガンチュアの誕生・成長と冒険の数々、さらに戦争とその顛末が、笑いと風刺を織り込んだ密度の高い文体によって描き出されてゆく。現代的センスあふれる清新な訳文から、不朽の物語の爆発的な面白さと輝かしい感動が楽しく伝わってくる。

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