解説

『パリ歴史事典』(白水社)

  • 2017/10/09
パリ歴史事典 / アルフレッド・フィエロ
パリ歴史事典
  • 著者:アルフレッド・フィエロ
  • 翻訳:鹿島茂
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(798ページ)
  • 発売日:2000-10-00
  • ISBN-10:4560028257
  • ISBN-13:978-4560028254
内容紹介:
文化・政治・思想から芸術・風俗・習慣まで、数多の項目に浮かび上がる千年の都パリの素顔。パリを知るための必携の書。

夢のテーマ別読み物事典

もう二十年以上も前のことだが、パリの街を歩き回っているうちに、パリに関することならどんなことでも載っている『パリ歴史事典』というものをつくったらどうだろうと夢想するようになった。たとえば、馬車という項目を引けば、パリにおける自家用馬車と乗合馬車についての事柄が歴史を追って記述されていて、ときどきの興味深いエピソードがちりばめられている。またデパートのことを調べたいと思ったら、デパートの前史から、誕生、発展まで、なにもかも出ている。万国博覧会も同じく、内国博覧会から一九三七年の最後のパリ万博まで各回ごとにその特徴が述べられているという具合。

そこで、この手のパリに関する歴史事典というものはないかと古書を漁り始めたが、街路の事典やモニュメントの事典というのはあってもテーマ別の読み物事典というのは案外少ないことに気づいた。一番、私の構想に近いのはラルースから一九六四年に出た《Dictionnaire de Paris》だが、これはモニュメント事典とテーマ別読み物事典の中間のような感じで、いまひとつ徹底性に欠けた。やはり、私が夢想したような事典は存在していないのである。

かくなるうえは、自分で作るしかないと、まず馬車についてのモノグラフィーを書いたのが、私の事実上の処女作である『馬車が買いたい!』(白水社、一九九〇年)。ついで、『新聞王伝説』『デパートを発明した夫婦』『絶景、パリ万国博覧会』と矢継ぎ早に本を出したが、これはみな、読みたいと思ったのに存在していない『パリ歴史事典』に対する欠乏感のなせるわざであった。

ところが、数年前のこと、白水社のK氏がロベール・ラフォン社から出ているBouquins シリーズの一冊をもって現れ、翻訳を検討しているのだが、少し目を通してもらえないかといってきた。手に取ると、なんたることか、これこそ昔、私が夢想していた『パリ歴史事典』そのものではないか! いや、夢想をはるかに超えている。なぜなら、私がいろいろと構想を練った項目はもちろんのこと、まったく思いつきもしなかったような項目がずらりと並んでいるからである。いや、これはおもしろい。是非、翻訳すべしといって、監訳を引き受けることになったが、ゲラがあがってくると、監訳者であることを忘れて、しばし、読み耽ってしまうことが一度や二度でない。

たとえば、「巨石 Mégalithe」の項目を引くと、パリには十八世紀頃までは紀元前の巨石文化の痕跡が残っていて、文書にもそれがちゃんと記録されているという。中でも興味深いのは市庁舎付近にあった「悪魔の屁」と呼ばれた巨石である。というのも、この巨石は十五世紀に権力と学生の間で繰り広げられた暴力沙汰の標的になり、学生と権力の間で取ったり取られたりを繰り返したからである。まず学生がこれを引き倒してカルチエ・ラタンに持ち帰り、サン・ティレール山に立てると、権力はすぐさま奪還しシテ島の裁判所の中庭に据えたが、学生は負けじと巨石を奪い取りかえし、またもや山の上においた。だが最後は権力の弾圧の前に学生が敗れて、以後、巨石は行方不明になってしまったという。学生に蜂起の口実を与えぬよう、巨石は処分されたようだ。そして、最後に著者はさりげなく、こう付け加えている。「フランソワ・ヴィヨンがこれらの出来事にかかわったという伝説は真実であるらしい。彼の大作『遺言書』の中には『《悪魔の屁》の詩』が綴られている」

また、この事典の特長は文化ばかりか自然地理、人文地理的な要素にも目配りがきいていることで、パリに生息する動物や昆虫にも案外多くのページが割かれている。一例をあげると、蜜蜂は新大陸で砂糖が栽培されるまでは、貴重な甘みのもとである蜂蜜を得るために近郊で盛んに飼われていたという。「リュクサンブール公園農業学校の養蜂所では、毎年ニキロの蜂蜜が穫れる。(中略)一般に知られた『公認』の養蜂所はさまざまな場所にあり(中略)、ガルニエ設計によるオペラ座の広々とした屋根の上のものが有名である」。これなど、そのままエッセイのネタに使えそうな情報ではないか。

また、「アルルカン」というなんのことか意味不明の項目があるのでのぞいてみると、アルルカンとは、大邸宅や大使館などから残飯として出る「調理済みの肉」のことであり、その残飯肉を扱う業者が「宝石屋」と呼ばれたと書かれている。この「アルルカン」はペット用として買われるほか、小さな定食屋が「本日の定食」の一品として使うこともあったらしい。

このように、多少ともパリに興味のある人なら、一度手に取ったら最後、次々にページを捲らざるをえない事典である。

本書の翻訳によって、私の二十年前の夢想はここに現実化したのである。

【新版】
パリ歴史事典 / アルフレッド・フィエロ
パリ歴史事典
  • 著者:アルフレッド・フィエロ
  • 翻訳:鹿島 茂
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(806ページ)
  • 発売日:2011-07-09
  • ISBN-10:4560081573
  • ISBN-13:978-4560081570
内容紹介:
文化・政治・宗教から芸術・風俗習慣まで、600の項目で浮かび上がる千年の都パリの日常。和文・欧文それぞれの項目索引も付いて、さらに引きやすくなったコンパクト版。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。



【この解説が収録されている書籍】
解説屋稼業 / 鹿島 茂
解説屋稼業
  • 著者:鹿島 茂
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(238ページ)
  • 発売日:2001-08-00
  • ISBN-10:479496496X
  • ISBN-13:978-4794964960
内容紹介:
著者はプロの解説屋である!?本を勇気づけ、読者を楽しませる鹿島流真剣勝負の妙技、ここにあり。

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パリ歴史事典 / アルフレッド・フィエロ
パリ歴史事典
  • 著者:アルフレッド・フィエロ
  • 翻訳:鹿島茂
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(798ページ)
  • 発売日:2000-10-00
  • ISBN-10:4560028257
  • ISBN-13:978-4560028254
内容紹介:
文化・政治・思想から芸術・風俗・習慣まで、数多の項目に浮かび上がる千年の都パリの素顔。パリを知るための必携の書。

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