後書き

『シェイクスピア・カーニヴァル』(平凡社)

  • 2017/10/08
シェイクスピア・カーニヴァル / ヤン・コット
シェイクスピア・カーニヴァル
  • 著者:ヤン・コット
  • 翻訳:高山 宏
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • ISBN-10:4582316123
  • ISBN-13:978-4582316124
内容紹介:
豊饒なるバフチーン、終末を生きるヘルメース学。『シェイクスピアはわれらの同時代人』のヤン・コットが、を自家薬篭中のものとして再びシェイクスピアに挑む。待望の書。
単にシェイクスピア批評に新次元をひらいたというよりは、たしかに六〇年代末にひとつの頂点を見る大層豊饒な批評方法相互の多声の「対話」の規範的な一例と言ってよいかと思う。演劇史、ことに不条理演劇にくわしく、ルネッサンスのヘルメース学に通じ、必要に応じて図像学の分析法も駆使できるヤン・コットが、こうした彼の強味を存分に発揮してシェイクスピア作品をひとつひとつ、現代のわれわれのアクチュアルな問題関心の側へと解放し、文字通りシェイクスピアを「われらの同時代人」たらしめていった『シェイクスピアはわれらの同時代人』は、あまた歴史的名著の邦訳が刊行され、一種知的な沸騰状態にあった六〇年代後半という時期にあってさえも、ひとつのショッキングな「事件」であった。ぼく個人の記憶から言えば、ヴォルフガング・カイザーの『グロテスクなもの』(邦訳、法政大学出版局)とグスタフ・ルネ・ホッケの『迷宮としての世界――マニエリスム美術』(邦訳、美術術出版社)と並ぶほどの位置と意味を保ちながら、この本は二〇世紀を代表するホットな批評の季節を総決算し、次の時代へと手渡そうとしている歴史的な名作として華々しく登場してきたのであった。

当然それは、実証の積み重ねをもって能事足れりとする旧套なシェイクスピア研究の枠におさまるはずのないものである。というか、テクストへの浮き浮きするような対応と、そのテクストを生んだコンテクストへの博覧強記の超領域的な対応とがそれこそみごとに「対話」し続けるこうした批評にちゃんとたち向かわない以上、シェイクスピア研究の将来など覚束(おぼつか)ないだろう。ぼく自身、右著(事務局注:上著)の邦訳が出たその年に大学に入り、やがて英文学に進んだ人間だが、英文学の時間、シェイクスピアの講義で一度としてコットを読まされた記憶がない。なにしろバロックを論じようとすると、いつもの「バラック」ですか、という大先生の半畳が入り、取り巻きの訳知り学生たちが下を向いてにやにや笑い、それでおしまいという体(てい)の授業だったわけで、こういう新しい、とらえどころのない動向を先生方は多少もて余(あま)し気味の気配であった。必要あってコットの名をあげると、ちょうどマニエリスム(「真似(まね)リスム」と嗤(わら)われた)やホッケ(こちらは「ホッケ宗」とか「ホッケキョー」とか、憫笑された)の名がそうであるように、確実に顰蹙を買った。専門家でない人たちがむしろ耽読した本であった。訳も見事だった。

『シェイクスピアはわれらの同時代人』の成果を白らの知的営みと相似形を描いているものと見て、着々と吸収していった人物は、むしろ演劇畑プロパーの外にいる。たとえば人類学者の山口昌男氏などが筆頭格で、氏の力作エッセー「失われた世界の復権」(一九六八。『人類学的思考』せりか書房/筑摩書房、所収)から、「シェイクスピア劇の中の王権・祝祭・道化」(一九八二。『天皇制の文化人類学』立風書房、所収)まで、そのみごとな相似形がいくらでもたしかめられる。山口昌男『本の神話学』(中央公論社。一九七一)にいたっては、ルネッサンス・ヘルメース学と図像学への関心がシェイクスピア祝祭論と交錯するみごとにコット的な肌理(きめ)を持つ、我が国では稀有のケースだ。ここでも「専門」家は、片はしから能なしであった。

話は大袈裟になるが、要するにいろいろな相なり層が多重に重なり合ってできていくのがわれわれの「現実」であるとするなら、それをできるだけ線的(リニアー)に単純化しようとしてきたのが「近代」という名の文化である。六〇年代末、いわゆる対抗文化の運動は、「近代」のそうした単純化では「現実」がもはや見えてこないことを言う運動であった。「現実」はもっと多重、多元的なものである。猥雑かもしれないが、こちらの方がわれわれの「現実」には近い感じがする。というので、「現実の多元性」(山口昌男)を言う祝祭論、道化論、トリックスター論が象徴人類学から文学研究までを一貫して流行した。コットの『シェイクスピアはわれらの同時代人』はそうした動向に悼(さお)さす一著であり、その続刊と目して差支えない本書『シエイクスピア・カーニヴァル』、ことに「フォースタス博士のふたつの地獄」と「ボトム変容」の二篇は、バフチーンのカーニヴァル論を巧みに援用しながら祝祭論・道化論をさらに竿頭(かんとう)一歩進めていく。ちなみにバフチーンのラブレー論、ドストエフスキー論また、六〇年代対抗文化の源泉となった記念碑的批評だが、それぞれ六八、七三年に英訳が出ている。

(次ページに続く)
シェイクスピア・カーニヴァル / ヤン・コット
シェイクスピア・カーニヴァル
  • 著者:ヤン・コット
  • 翻訳:高山 宏
  • 出版社:平凡社
  • 装丁:単行本(253ページ)
  • ISBN-10:4582316123
  • ISBN-13:978-4582316124
内容紹介:
豊饒なるバフチーン、終末を生きるヘルメース学。『シェイクスピアはわれらの同時代人』のヤン・コットが、を自家薬篭中のものとして再びシェイクスピアに挑む。待望の書。

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