書評

『ボーリンゲン:過去を集める冒険』(白水社)

  • 2018/06/22
ボーリンゲン:過去を集める冒険 / ウィリアム・マガイアー
ボーリンゲン:過去を集める冒険
  • 著者:ウィリアム・マガイアー
  • 翻訳:高山 宏
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(426ページ)
  • 発売日:2017-11-23
  • ISBN:456008310X
内容紹介:
ユングに傾倒したアメリカの資産家夫妻が創設したボーリンゲン基金と出版活動。二十世紀を変えた〈知〉が生成される現場を活写する。

人文学の文化遺産

本書『ボーリンゲン』の副題は、「過去を集める冒険」という。そこで言う「過去を集める」とは、人類の文化遺産を後世に伝えることだ。最先端の科学技術ばかりが脚光を浴びる世の中で、こうした人文学の営みはとかく軽視される傾向にある。本書が描き出すのは、一九四二年に設立され、出版事業と学術研究支援を二十年余りにわたって続けた、ボーリンゲン基金という団体の歴史であり、そのまわりに集った知の文化人たちのポートレートである。

人文学を探索する者なら誰でも、少なくとも何冊かは、ボーリンゲン叢書(そうしょ)から出版された書物に触れたことがあるはずだ。ジョーゼフ・キャンベルの『千の顔を持つ英雄』、『易経』、ケネス・クラークの『ザ・ヌード』、ゴンブリッチの『芸術と幻影』、エリアーデの『永遠回帰の神話』などなど。そうした古典とも呼ぶべき名著の数々を、わたしたちはそれがどこから出版されたのかを気にもとめずに、ばらばらの点として受容してきた。ところが『ボーリンゲン』を読むと、そうしたばらばらの点が結ばれて線や面を形作っていく、その驚きにまず打たれる。二十世紀を代表する人文学の知が、ボーリンゲンといういわばハブのもとに、国を超え領域を超えて連結した、学際的な人脈のネットワークとして立体的に浮かび上がってくる。

ボーリンゲン基金は、心理学者C・G・ユングに心酔したアメリカの資産家であるポールとメアリー・メロン夫妻によって、ユングの思想を広める目的で設立された。その名前は、ユングが住んでいたスイスのボーリンゲンにちなんで取られている。活動の中心になったのは、スイスのマッジョーレ湖畔にある邸宅にユングをはじめとする東西の知識人たちが参集し、講義と討論を行った、いわゆるエラノス会議である。ボーリンゲン叢書はエラノス講義を書籍化し、また叢書の著者は講義に招かれた。この双方向の活動に加わった知識人には、ユング心理学を取り巻く人々のみならず、神話学や考古学、さらには芸術や文学に携わる人々も含まれた。ケレーニイ、ブロッホ、パノフスキー、ショーレム、ナボコフ、そして鈴木大拙など、まさしく綺羅星(きらほし)のようなスターたちである。『ボーリンゲン』はそうしたスターたちが勢揃(ぞろ)いする豪華な映画のような感を呈していて、各人に割かれている数ページは、どれも一冊の本になるようなエピソードばかりである(実際に、そういう本は何冊も出ている)。その意味で、『ボーリンゲン』は優に百冊を超えるような内容を凝縮したものであり、ひたすら圧倒されずにはいられない。

しかし、本書で最も印象的なのは、知の巨人たちに全幅の信頼を置き、その仕事を陰で支えた人々の存在である。とりわけ、資産家の妻というだけの扱いでウィキペディアにも項目がないメアリー・メロンは、ひたすらユングへの傾倒に突き動かされてこの大事業を成し遂げた女傑として長く記憶されるべきだろう。そして、何十年もかかる仕事に文字どおり生涯を捧(ささ)げた、翻訳者たちや編集者たちもいる。著者のウィリアム・マガイアーもその一人で、彼はフリーの編集者としてボーリンゲン叢書の校正刷りのチェック係から始まって、後に編集主幹になった。回想記としても読める『ボーリンゲン』は、彼にとっても「過去を集める冒険」だったのだろう。わたしたちに遺(のこ)されたボーリンゲン叢書がそうだったように、この『ボーリンゲン』という本も、過去を伝える貴重な文化遺産であり、人文学の厚みを再認識させてくれる重い一冊なのだ。=高山宏訳
ボーリンゲン:過去を集める冒険 / ウィリアム・マガイアー
ボーリンゲン:過去を集める冒険
  • 著者:ウィリアム・マガイアー
  • 翻訳:高山 宏
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(426ページ)
  • 発売日:2017-11-23
  • ISBN:456008310X
内容紹介:
ユングに傾倒したアメリカの資産家夫妻が創設したボーリンゲン基金と出版活動。二十世紀を変えた〈知〉が生成される現場を活写する。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2017年12月10日

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