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少々大袈裟な話になったが、話題を本書の限目、バフチーン批評の利用のことにせばめてひとこと言っておこう。バフチーンの祝祭論を介して十七世紀演劇史を民衆文化の側に引きつけて書き換えようという動きが、子想通りこのところ盛んで、たとえば、すぐにでも邦訳すべきものとして思いだされる Bristol, Michael D., Carnival and Theater; Plebeian Culture and the Structure of Authority in Renaissance England (Methuen; New York and London. 1985). Stallybrass, Peter and Allon White, The Politics and Poetics of Transgression (Methuen; London, 1986). Hutson, Lorna, Thomas Nashe in Context (Clarendon Press; Oxford, 1989) をはじめ、トマス・ナッシュやベン・ジョンソンをめぐってバフチーンのカーニヴァル論をうまく使う著作や雑誌論文が次々に出ている。ちなみに二ール・ローズの同趣向の快著『エリザベス朝のグロテスク』は先般同僚上野美子氏を頼って同じ平凡社から邦訳したばかりだから、その併読と、なかんずく上野氏による解題記事の併読を勧めておきたい。ストリブラスとアロン・ホワイトの共著は、近代という「ノモスの腹に穴を穿(うが)つ」汚穢の対抗文化の思わぬ脈絡と、バフチーン批評のどちらに関心がある人にとっても決定的と言い切れる画期的な本。本橋哲也氏という最高の訳者を得て、邦訳本も出た[『境界侵犯、その詩学と政治学』ありな書房]。上野美子、本橋哲也と揃った東京都立大学十七世紀ヨーロッパ演劇研究集団が何か起こしてくれそうだ。それにしても、ストリブラスより偉かったアロン・ホワイトの、『カーニヴァル、ヒステリー、エクリチュール』(一九九四)一冊残しての突然の死が余りにも口惜しい。