書評

『重力ピエロ』(新潮社)

  • 2017/10/15
重力ピエロ  / 伊坂 幸太郎
重力ピエロ
  • 著者:伊坂 幸太郎
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(485ページ)
  • 発売日:2006-06-28
  • ISBN-10:4101250235
  • ISBN-13:978-4101250236
内容紹介:
兄は泉水、二つ下の弟は春、優しい父、美しい母。家族には、過去に辛い出来事があった。その記憶を抱えて兄弟が大人になった頃、事件は始まる。連続放火と、火事を予見するような謎のグラフィティアートの出現。そしてそのグラフィティアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。謎解きに乗り出した兄が遂に直面する圧倒的な真実とは-。溢れくる未知の感動、小説の奇跡が今ここに。
「春が二階から落ちてきた」

この冒頭のフレーズから読者の気持ちをぐっとつかんで、ラストに至るまで一瞬たりとも握力を緩めない。それが伊坂幸太郎の最新作にして、現時点での最高傑作『重力ピエロ』だ(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は2003年)。予言を放つ案山子(かかし)が登場する『オーデュポンの祈り』でデビュー以来、一作ごとに異なるスタイルの小説を発表。着実に読者の幅を広げてきた作家だけれど、この小説をもって、村上春樹や江國香織が好きな婦女子のハートをも虜にすること必定だ。真っ直ぐで、切なくて、可笑しくて、愛おしくて……、読んでいる最中たくさんの感情がわき上がってきて、身もだえさせられちゃうような物語なんだもの。

舞台は連続放火事件が起きている仙台市。そんな中、この物語の語り部である泉水(いずみ)の弟・春は、兄が勤める遺伝子情報会社のビルが放火の被害に遭うことを予測。街の落書き消しを仕事にしている春は、事件と放火現場付近に残された落書きとの因果関係に気づいていたのだ。さらに兄弟は落書きが暗号になっているのではないかと推理。ガンで入院している父親も交え、三人は暗号解読に挑むのだが。

と、そんなストーリーの粗筋を抜き出してみたところで、この作品の魅力はみじんも伝わらない。プロットだけで読ませるのではなく、会話や物語の中から浮かび上がってくるガッツリ手応えのある確かな感情で読ませる。これはそうした類(たぐ)いの小説なのだから。

感情がわき出る源泉となっているのが、たとえば人物設定。春は女性なら誰もが振り向かずにはいられないほど端正なルックスの持ち主なのだけれど、性的なものを激しく嫌悪している。というのも、彼は今は亡き母が連続レイプ犯に犯されてできた子どもなのだ。つまり、泉水とは異父兄弟。じゃあ、さぞかし根性が曲がっているのかと思いきや、全然そうではない。兄弟の父親は、レイプ犯の子を宿した妻を励まし、出産させ、春を我が子として大事に育てたのだし、泉水も春のことが可愛くてならない。そして、春もまた家族に一万メートル海溝よりも深い愛と敬意を抱いているのだ。

彼らが交わす会話のかもす温かさがまた、この小説の味わいを一層豊かにしている。〈本当に深刻なことは陽気に伝えるべきなんだよ〉〈重いものを背負いながらタップを踏むように〉〈ピエロが空中ブランコから飛ぶ時、みんな重力のことを忘れているんだ〉など、別に珍しくも新しくもない単純な言葉の数々が、しかし、真っ直ぐでナイーブで、ユーモアに溢れてはいるけれど軽くはない語り口によって、読み手の胸にすーっと素直にしみこんでくるのだ。病室を見舞った兄弟の前で、父親が春にこんな言葉をかける。「おまえは俺に似て、嘘が下手だ」。この一行がもたらす感動といったら! それまで彼ら一家の物語に一喜一憂していた読者なら、目頭を熱くせずにはいられないはずだ。

DNA遺伝子の仕組みや、フェルマーの最終定理、ガンジーの思想、兄弟が幼かった頃に家族で見に行ったサーカスでのエピソードなどを、難解さに走ることなくさりげなく本筋にメタファーとして織り込ませる手際といい、小説としての巧さも実感できる。ミステリーとしての醍醐味には欠けるとは思うものの、青春小説として、家族小説として、エンターテインメント小説界の一大潮流となりかかっているナイーブ系(たとえば、『阿修羅ガール』で三島賞を受賞した舞城王太郎や『池袋ウエストゲートパーク』の石田衣良、『MOMENT』の本多孝好など)の代表作として、これが今年の収穫の一冊に挙げられることは間違いない。

【この書評が収録されている書籍】
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド / 豊崎 由美
そんなに読んで、どうするの? --縦横無尽のブックガイド
  • 著者:豊崎 由美
  • 出版社:アスペクト
  • 装丁:単行本(560ページ)
  • 発売日:2005-11-29
  • ISBN-10:4757211961
  • ISBN-13:978-4757211964
内容紹介:
闘う書評家&小説のメキキスト、トヨザキ社長、初の書評集!
純文学からエンタメ、前衛、ミステリ、SF、ファンタジーなどなど、1冊まるごと小説愛。怒濤の239作品! 560ページ!!
★某大作家先生が激怒した伝説の辛口書評を特別袋綴じ掲載 !!★

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

重力ピエロ  / 伊坂 幸太郎
重力ピエロ
  • 著者:伊坂 幸太郎
  • 出版社:新潮社
  • 装丁:文庫(485ページ)
  • 発売日:2006-06-28
  • ISBN-10:4101250235
  • ISBN-13:978-4101250236
内容紹介:
兄は泉水、二つ下の弟は春、優しい父、美しい母。家族には、過去に辛い出来事があった。その記憶を抱えて兄弟が大人になった頃、事件は始まる。連続放火と、火事を予見するような謎のグラフィティアートの出現。そしてそのグラフィティアートと遺伝子のルールの奇妙なリンク。謎解きに乗り出した兄が遂に直面する圧倒的な真実とは-。溢れくる未知の感動、小説の奇跡が今ここに。

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