まるで生き物のような機関車に翻弄される
全編が鉄道と蒸気機関車にまつわる話で、鉄道ファンは狂喜乱舞すること間違いなしの短編集です。とはいえ、冷たい恐怖と暗い郷愁とを呼び覚ます作品が多くて、喜んでばかりもいられません。本書は1919年に出版されました。著者は「ポーランドのポオ」とも呼ばれていたそうで、文章の華麗さ、錯乱した精神の発露、にじり寄る死の気配など、確かに19世紀のポオの香りを彷彿(ほうふつ)させるところがあります。
なにより魅力的なのは、機関車の力強い動きと作中におけるその役割でしょう。機関車自体が一種の凶器であり狂気であり、驚喜ですらあるのです。
さらに駅長、車掌、信号手、乗客などの登場人物が尋常ではありません。たとえば、「汚れ男」に登場するボロンは、「基本的に乗客というものが我慢ならなかった。(略)鉄道は鉄道のために存在するのであって、旅行者のためではなかった。鉄道の任務とは、人々をある場所から別の場所へと交通目的で運ぶことではなく、運行それ自体と空間に打ち勝つことであった。(略)駅があるのはそこで降りるためではなく、移動距離を測るためであった」という考え方の持ち主です。「車室にて」のゴジェンバは「動きの狂信者」で、「いつもは静かで内気な夢想家」なのに「車両のステップに足をかけた途端、見違えるほど」人が変わり、大胆不敵なことをしでかします。
主人公はあくまでも機関車で、人間はそれを引き立てる添え物にすぎません。そのせいか、衝突事故や信号事故でよく人が死にます。そのあっさりした死生観も読みどころのひとつです。
21世紀に読んでも目眩(めまい)がするほどの空間移動を味わえる作品です。