巨人の根幹を形成した二十歳代
SFのオールタイム・ベストとして定評がある『ソラリス』の作者である、ポーランドを代表する作家スタニスワフ・レムの受容に関しては、日本の読者ほど恵まれた環境にいる読者は世界中のどこを探してもいないだろう。すでに多くの小説作品が上質の翻訳で出ていたうえに、十年間の歳月をかけて<レム・コレクション>全六巻が完結し、初期の自伝的作品や、批評家としてのレムの力量をうかがわせるに充分な文学エッセイも紹介された。そしてさらに<レム・コレクション>の第二期も刊行が始まり、巨人レムの全貌が日本の読者にもかなり見えてきた。『火星からの来訪者』は、レムが二十歳代に書いたものを集めた初期作品集であり、すべて本邦初訳なのが嬉しい。レムの実質的なデビュー作である、長めの中篇サイズの「火星からの来訪者」は、火星からのロケットが飛来して、そこに搭載されていた「火星人」を科学者たちのチームがなんとか理解し、意思疎通を試みようとする姿を描いている。いわゆるファースト・コンタクト物として典型的な作品だが、後にレムがH・G・ウェルズの『宇宙戦争』論を書いたときに指摘した問題が、すでにこの若書きの作品にも書き込まれていることに気づかざるをえない。たとえば、レムは火星人を「非常に非人間的でかつ機能的に描かれなければならない」として、「機械と生命体の合体」をモデルとして考えたが、「火星からの来訪者」で描かれている、「アレアントロポス」と名付けられた火星人は、「何やら黒く青く光る不格好な機械」としか見えない。『ソラリス』へとつながる、人間の理解を超えた異なるものの存在というテーマは、こと異星人に限らず、「人間が考え出したことすべて」を忘れることで永久機関を発明してしまった少年を描く短篇「異質」にも通底している。
わたしたち日本人読者を間違いなく驚かせるのは、広島への原爆投下を扱った最も早い作品のひとつである、短篇「ヒロシマの男」だろう。そこでは、連合国側のスパイとして活動している日系人が、偶然その場に居合わせたことで大惨事に巻き込まれてしまう。原爆投下の瞬間、そして広島の惨状を描くレムの筆致は、ジョン・ハーシーのルポルタージュ『ヒロシマ』に依拠してはいるが、あまりにもリアルだ。物語の構造的にこの作品と似ているのは、ユダヤ人と誤解されて絶滅収容所に送られるポーランド人を描いた短篇「ラインハルト作戦」だ。後には、キャラクターに依存する伝統的な小説作法から脱却して、人類を描くウェルズ的な小説へと進んでいったレムだが、こうした初期の二作品では、原爆およびホロコーストという大量虐殺を扱いながらも、偶発的にそこに巻き込まれてしまう一個人の運命に目を向けている。
この作品集に収められた作品には、四〇年代から五〇年にかけて、レムが直接的に体験したことが色濃く反映しているのが見て取れる。レムの根幹はこのときに形成された。後の純粋に思弁的だと見えるような作品群にも、冷静かつ客観的に現実を観察しようとするレムの目が光っている。レムの膨大な作品群を読み直そうとするとき、『火星からの来訪者』は絶好の手引になるだろう。