選評

ミーナの行進 (中央公論新社)

  • 2017/11/13
ミーナの行進 (中公文庫) / 小川 洋子
ミーナの行進 (中公文庫)
  • 著者:小川 洋子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(348ページ)
  • 発売日:2009-06-01
  • ISBN:4122051584

※書店によっては、在庫の無い場合や取り扱いの無い場合があります。あらかじめご了承ください。
※詳しい購入方法は、各ネット書店のサイトにてご確認ください。

谷崎潤一郎賞(第42回)


受賞作=小川洋子「ミーナの行進」/他の選考委員=池澤夏樹、川上弘美、筒井康隆/主催=中央公論新社/発表=「中央公論」二〇〇六年十一月号

物語的背負投げの傑作

小川洋子氏の『ミーナの行進』の上(うわ)っ面(つら)だけ読めば、「ねるーい小説」にも、「おとぎ話の域を出ないお話」にも、そして「能天気で御都合主義めいた物語」にも見えるだろう。けれども正確な読みに徹した読者なら、これが小説による小説潰しの反小説であり、物語による物語の関節外しの実験であり、それでいて、よくできた小説でもあると思い中(あた)って溜息をつくにちがいない。

小説の枠組みはこうである。一九七二(昭和四十七)年春から一年間、語り手の「私」は、芦屋の伯母の屋敷で暮らすことになった。伯母は「私」の母の姉、フレッシーという清涼飲料水で財をなした会社創始者の御曹司と結婚している。

一五〇〇坪の敷地に一七の部屋をもつスパニッシュ様式の大豪邸に引き取られた貧しい母子家庭の少女――よくある設定だ。たいていの場合、物語的圧力を高めるために、「私」は意地の悪い使用人や、富豪のひねくれた娘から苛(いた)めつけられることになっているが、この小説では、使用人は「私」にやさしく、病弱の従妹のミーナは、「私」をじつの姉のように思ってくれる。「私」いじめを期待していた読者は、まずここで最初の背負投げを食わされることになるが、このあとも全編で物語的背負投げが連発される。

たとえば、マッチで火を点(とも)す名人で、マッチ箱を集めてそこに「お話」を書くのを楽しみにしているミーナ――たいていの物語では、このマッチで火事になることになっているが、ミーナは火事をおこさない。さらにミーナはフレッシーの配達青年に、同時に「私」は図書館司書の青年に淡い恋心を抱いているが、読者の期待を裏切って、恋らしきものはなに一つ成立しない。また「私」は伯父さんの愛人の住所を突き止める。たいていの物語では女主人公が伯父さんに意見をするところが山場になるが、「私」はなんにもしないのだ。

なによりも、これほど病弱なミーナならいつかは死ぬだろう、それがこの小説の山場になるのだろうと思っていると、ミーナは死ぬどころか、いろんなことで元気になって、一人で学校に通うようになる。

これほど暴力的に物語の関節を外しておきながら、読後の印象はまことにさわやかである。このさわやかさは、芦屋での生活が「私」には奇蹟の時間であり、じつはこのような奇蹟の時間がどんな人間の人生にもあるのだと、作者が堅く信じているところからもたらされたものにちがいない。

【この選評が収録されている書籍】
井上ひさし全選評 / 井上 ひさし
井上ひさし全選評
  • 著者:井上 ひさし
  • 出版社:白水社
  • 装丁:単行本(821ページ)
  • ISBN:4560080380

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ミーナの行進 (中公文庫) / 小川 洋子
ミーナの行進 (中公文庫)
  • 著者:小川 洋子
  • 出版社:中央公論新社
  • 装丁:文庫(348ページ)
  • 発売日:2009-06-01
  • ISBN:4122051584

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初出メディア

中央公論

中央公論 2006年11月

雑誌『中央公論』は、日本で最も歴史のある雑誌です。創刊は1887年(明治20年)。『中央公論』の前身『反省会雑誌』を京都西本願寺普通教校で創刊したのが始まりです。以来、総合誌としてあらゆる分野にわたり優れた記事を提供し、その時代におけるオピニオン・ジャーナリズムを形成する主導的役割を果たしてきました。毎号に刻み込まれたその歴史は、時代の潮流におもねることなく、この国が本当にとるべき姿を映し続けてき

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