書評
『地図を創る旅: 青年団と私の履歴書』(白水社)
伝わらない不安、直視する「対話」
言葉が正確なひとである。端正に言葉を紡ぎだすひと、と言いかえてもよい。そのひとが一度だけ、他人にくってかかる場面を目撃したことがある。距離をとって、慈しみをもって、場面を見るのに秀でたひと、そのひとが断固譲ることのできなかったものは何だったのか、ずっと気になっていた。その烈(はげ)しさが、この本のなかではもうすこし剥(む)きだしに、しかしやはり端正に綴(つづ)られている。夜間高校生のときに一年半がかりで世界一周自転車旅行を敢行した平田オリザは、検定試験を受けて大学に入学し、早々に劇団を立ち上げる。その「青年団」の現在にいたるまでの軌跡が、当時のチラシ(ときに檄文<げきぶん>)を引用しつつ描かれる。
前半は、アゴラ劇場をねぐらとした草創期の迷走と、はちゃめちゃな挑戦と、確かな達成とが、まるで青春小説のように語られる。幼稚園時代に、買ってほしいものがあると、「どうして買ってほしいのか」「買うとどうなるのか」を、まるで企画書のように原稿用紙に書かされたという回想や、中江兆民を論じた卒業論文の引用が、のちの青年団の方法論を彷彿(ほうふつ)とさせる。
が、後半に入って、その筆致に錐(きり)を揉(も)むような烈しさがこもってくる。なぜ役者たちに長いセリフや大げさな身ぶりを禁じるのか。なぜ複数の会話を同時発生させるのか。そういった青年団独自の手法が、代表作『ソウル市民』の制作過程とともに説き起こされる。そしてこれが、高校での対話のワークショップなどに見られるような一つの社会的実験へと展開してゆく。
たがいに同調しあうという閉じた社会から、各人が文化や社会というかたちで引きずっている異なった背景の摺(す)り合わせをきちんとおこなう社会への移行が求められるなかで、真のコミュニケーションは「伝わらない」という局面を直視することより始めるしかない。そこには表現の不安がつきまとう。演劇人も一般市民も日々その不安と格闘している。だからこそ演劇は社会的実験につながる。戯曲とは、ガラス細工のように繊細な「対話のレッスン」にほかならないからだ。
朝日新聞 2004年06月13日
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