書評

『蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』(松籟社)

  • 2017/11/14
蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか / 紀田 順一郎
蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか
  • 著者:紀田 順一郎
  • 出版社:松籟社
  • 装丁:単行本(206ページ)
  • 発売日:2017-07-01
  • ISBN-10:4879843571
  • ISBN-13:978-4879843579
内容紹介:
三万冊超の蔵書を処分した著者がその経験を踏まえ、近代日本の読書文化を振り返りつつ、「蔵書」の意義と可能性、その限界を探る。

蔵書と日本社会の構造

いま日本の書籍文化は大きな危機を迎えている。新刊の販売部数が激減しているばかりでなく、それぞれの家庭に所蔵されていた本が文字通り「消えていく」可能性が非常に高くなってきたからだ。とりわけ深刻なのは、戦中・戦後の本への飢餓感から本をたくさん集めてきた蔵書家が老齢化していることだ。個人ではもう蔵書を維持する費用(家賃、ローン、光熱費)が負担できなくなっているのに、それを受け入れるだけの余力が社会になくなっている。蔵書は古書店にも引き取られず、図書館にも収容されずに、廃棄処分を待つ運命にある。本書は書誌学・メディア論の大家で、神奈川近代文学館の館長もつとめた蔵書家の著者が、三万冊の本を処分するに至った経緯を語りつつ、副題にあるごとく蔵書と日本社会の構造の関係について考察した本である。

いよいよその日がきた。半生を通じて集めた全蔵書に、永の別れを告げる当日である

賢治の名詩にならって「永訣(えいけつ)の朝」と題された冒頭エッセイの書き出しである。愛蔵本なので散逸は避けたい。公共の蔵書機関への寄贈も考えたが、文学館館長時代の経験から個人蔵書の一括収容は不可能だと知っている。残るは古書店に引き取ってもらうしかない。年末までに小さなマンションに引っ越さなければならないので、手元に残しておきたい約六百冊の選定に取りかかったが、これがなかなかはかどらない。

突如、十代の頃に愛唱した「セプテンバー・ソング」の一節が蘇ってきた。「今やわれ、待つに時なし、九月――十一月…」。十代のときには十月が飛ばされている意味がわからなかったが、はたと腑(ふ)に落ちる。「九月を起点に人生の終末を十二月とすれば、十月などという半端な月はないのだ」

段ボールの搬出がすべて終わり、空になった書棚を眺めているうちにキケロの「書籍なき家は、主(あるじ)なき家のことし」という言葉が浮かんだ。トラックが古い分譲地の一本道を遠ざかっていく。傍らの妻が胸元で小さく手を振っているのに気づいた。

その瞬間、私は足下が何か柔らかな、マシュマロのような頼りないものに変貌したような錯覚を覚え、気がついた時には、アスファルトの路上に俯(うつぶ)せに倒れ込んでいた

研究者や作家の蔵書が際限なく増えたのは、日本における大学・公共図書館の不備や利用勝手の悪さに原因があるからだが、その図書館さえバブル崩壊以後は予算が削減され、維持費もおぼつかなくなってアウト・ソーシングする時代に。では、古書店が繁盛しているかといえばまったくその逆で、加速する人口減小とウィンドウズ95以後に登場した非読書階層の拡大で古書業界も構造不況業種と化している。よって、蔵書家のまとまった蔵書は散逸するどころか多くが廃棄処分となってしまう連命にあるのだ。

著者はこの現象を「共有地の悲劇」という経済用語やトーマス・シェリングのゲーム理論『ミクロ動機とマクロ行動』で説明しているが、メカニズムや原因がわかっても、ジリ貧日本の体力ではもはや本を消滅から救いだすことは困難なのである。日本人がここまで来られたのは、すべて本のおかげであるにもかかわらず、である。

評者自身も書庫・兼仕事場の賃貸マンションが不動産業者による地上げに遭い、蔵書の大リストラを敢行せさるをえなくなっている。「明日は我が身」の痛切な一冊である。
蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか / 紀田 順一郎
蔵書一代―なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか
  • 著者:紀田 順一郎
  • 出版社:松籟社
  • 装丁:単行本(206ページ)
  • 発売日:2017-07-01
  • ISBN-10:4879843571
  • ISBN-13:978-4879843579
内容紹介:
三万冊超の蔵書を処分した著者がその経験を踏まえ、近代日本の読書文化を振り返りつつ、「蔵書」の意義と可能性、その限界を探る。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2017年7月23日

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