書評
『幕末から維新へ〈シリーズ 日本近世史 5〉』(岩波書店)
人が何となく感じていることは、大抵正しい
江戸幕府の役職は、どんな人選によったのだろう? おおかた想像していたとおりのようである。「遠山の金さん」で知られる名奉行遠山金四郎のケースだが、父親の功績のおかげで町奉行から大目付まで出世した。「江戸幕府の昇進制度とは、もともとこのような仕組みのものだった」金さんはともかくとして、ボンクラでもオヤジがえらいと出世した。太平の世の中であれば、さして問題はなかっただろう。前例主義でいい。オヤジたちの前例に即して事を処理する。『幕末から維新へ』は、ヨーロッパでいうとフランス革命から普仏戦争にいたる百年たらずである。大きな変動にみまわれたのは同じこと。東洋の島国では、黒船の到来のように前例のないことが次々に起きた。ボンクラ出世組はアワをくい、のべつ会議をしてとりつくろい、判断を下さず先送りした。幕府が「本省」とすると、幕藩体制は手本にならうもので、どこの藩でも似たものだったと思われる。みるまに一枚岩の体制がキシみ出し、崩れはじめた。
さすがにこれでは立ちゆかないというので、「埋もれた人材」の発掘のための試験制度を導入した。三年に一回おこなわれ、幕末まで19回実施された。合格、不合格で、合格には甲乙丙の三段階。19回の試験で甲の合格者は計66名。幕臣中の大秀才だが、その手の才気が入ってくると、ボンクラは困ったことになる。
たとえ及第しても幕府要職のポストを約束されず、幕府から褒賞があるだけだった。
霞が関、またお役所の人事をみるかのようで、人間というのはいつの世にも変わらない。やがて時代が先送りを許さなくなって、「対外関係」を中心に、テスト秀才が局面の処理に活躍しはじめる。第二回試験で甲及第だった一人が遠山金四郎の父親で、受験参考書を出した。金さんが名奉行といわれたのは、むろんオヤジ的前例を無視してコトに処したからである。
白洲正子のエッセイがたのしいのは、人がそれとなく感じていること、それとなく思っていたこと、あるいは怠惰のせいで気づこうとしなかったことを、ズバリと言ってくれるからだ。『なんでもないもの』の多くは骨董(こつとう)、あるいは骨董的な文化をめぐっている。ある目利きのセリフが引用してあって、「これは本物以上に本物すぎるから、たぶん贋物だろう」。
「永仁の壺」事件のあとにたのまれて書いたエッセーだろうが、真贋(しんがん)騒動のコッケイが目に見えるようだ。現代の茶道、また華道についてはニベもない。
今や一つの大会社として組織され、文化とも芸術とも関係なく、金儲けをしてるのだと思えばあきらめもつく。
民芸作家の初期の作品と晩年のそれを比べて、いずれをとわず「抽象的な、頭脳の所産」と化していること。
掛花入の陶磁器に「旅枕」と称されるものがあるそうだ。文庫版だから写真はついていないが、「ある日、忽然(こつぜん)と生れた」信楽(しがらき)の一つ。物いわぬそれをながめている人自体が一個の美術品のように思える。
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