書評
『白洲正子自伝』(新潮社)
胸のすく自伝
コロン、と首が棺の中に落ちる。そこから始まる『白洲正子自伝』(新潮社)。このような自伝はまたとあるまい。見廻り組に殺される仲間を見捨てた侍を、葬式で斬る。「斬る方も斬られる側も、すべて暗黙の了解のもとにあり、「こいでよか」、のひと言で済んだのであろう」。「こいでよか」、すなわち祖父樺山資紀である。「穏やかな表情の奥に底知れぬたくましさを秘めた大男であった」。大礼服の祖父に抱かれると勲章が背中にチクチクした。母方の祖父は川村純義。二人とも薩州出で海軍である。年の離れた末娘は父に溺愛された。母は歌道、香道、踊りにふけり、子どもにかまわなかった。だから幼い白洲正子は孤独で不機嫌で、はじめて口にしたのが「バカヤロウ」だという。
昭和天皇がその邸に滞在し、のちの秩父宮妃は学習院で親友、益田鈍翁や吉田茂とも交友がある、いってみれば特殊な上流社会の育ちだ。「お前さんが今までに経験したことといえば大病だけじゃないか」と骨董の師青山二郎はいった。いや苦労のない苦労というものもある。強い好奇心と、思うより先に体の動く行動力でしのいで、著者は古典、絵画、能、骨董――“美しいもの”に熱中し、いずれも“躍進するお嬢さん芸”をはるかに超えてしまうのである。
「子供は美しいものを一生覚えているものだ」。名優や名画の印象記にふと羨ましさを覚えつつも、このわがままで正直な文章はいささかも出身階級の嫌味を感じさせない。惚(ほ)れた夫白洲次郎や子供のことをクダクダ書かぬのも粋だし、「ざまあ見ろ」も白洲正子が使うとカッコイイ。
「ねえ、きれいでしょう」と自分の舞台姿にみとれていた十五世羽左衛門、吉田満を「ダイヤモンドのような眼をした男だ」と評した小林秀雄の肉声も貴重だが、黙々と頼もしげに働いていた庭師の姿、ワシントンのデパートで大風呂敷をヤッコラサと背負ったおたかさん、スペインを案内してくれた画家くずれのNさんの運命、愛情をもって書きとめられた人たちが素敵だ。
「韋駄天(いだてん)お正」の成れの果てとはかくの如きものである。最後の一行まで胸のすく自伝。
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