「辺境」から見たもう一つの維新
隠岐に島後(どうご)と呼ばれる円形の島がある。古来、流人の島と呼ばれたこの島に、大坂近郊の河内(かわち)から一人の少年が送られてくる。少年の名は西村常太郎(じょうたろう)。父の履三郎(りさぶろう)は大塩平八郎の高弟として乱に加わり、江戸で死んだ。常太郎は父の罪をかぶる形で、数え15歳で島後に流されたのだ。本書は、天保8(1837)年に大坂で起こった大塩平八郎の乱から、慶応4(1868)年に起こった隠岐騒動までの激動の時代を、主人公で医者となる常太郎の視点を通して描こうとする歴史小説である。まず大塩の乱を描いた章で、民衆側につく大塩勢VS.腐敗した幕府という対立の図式が明確に示される。この大きな国政レベルの対立の図式は、本書全体を貫くモチーフとなる。
島後では、島を支配する松江藩との権力関係に加えて、庄屋と農民や漁師との関係などが複雑に絡んでいた。けれども常太郎は、島の外から持ち込まれる恐るべき伝染病に敢然と立ち向かう医者として、そして何よりも民衆とともに立ち上がった西村履三郎の子として、広く慕われていた。
島後は、単に将軍を頂点とする幕藩体制の末端に位置していたわけではなかった。後醍醐天皇が流された伝説が残るこの島には、もともと土着的な尊王思想があったからだ。ペリー来航をはじめとする異国船の出没は、こうした尊王思想を一段と活発にする役割を果たすことになる。
王政復古とともに、ついに島後では松江藩の役人が追放され、尊王攘夷(じょうい)派による自治会議が支配権を握るが、それはまた島内に新たな対立を生み出す。新政府や長州藩、そして松江藩に隣接する鳥取藩との息詰まる駆け引きもまた、本書では克明に描かれている。辺境から見たもう一つの明治維新のドラマがここにある。
常太郎は、最後に罪を許されて島後を離れ、故郷の河内へと戻ってゆく。この結末はあたかもブラームスの交響曲第3番のごとく、壮大なシンフォニーが第4楽章の最後に第1楽章の第1主題へと帰ってゆくような趣がある。
歴史学者は往々にして、歴史小説というものを見下す。小説は所詮(しょせん)フィクションであって、実際の歴史ではない。自分の研究こそが「客観的」かつ「実証的」という暗黙の前提がそこにある。だが、少なくとも私はそうした前提を共有しない。断言してもよいが、本書の著者は並の学者には到底及ばないほど綿密な調査を積み重ね、島後を歩き尽くしている。フィクションに相当する部分は、このしっかりとした「土台」の上に築かれているのだ。歴史叙述のスタイルという点でも、学ぶところの多い作品だと考えるゆえんである。