書評
『プリズン・ブック・クラブ--コリンズ・ベイ刑務所読書会の一年』(紀伊國屋書店)
囚人たちが語り合う読書会。異色のノンフィクション作品
男子刑務所での、囚人たちの読書会!? 一瞬、えっと驚く。違和感の正体は何か、よくよく考えてみると、「読書」ではなく、「会」にあるとわかってくる。刑務所と読書は、親和性が高い(らしい)。刑務所ほど読書に集中できる場所はないと聞いたこともあるし、人生で一番たくさん本を読んだ時期は収監中だったという話も、服役経験をもつ人が書いていた。
しかし、「会」となると、ちょっと話は違ってくる。読書会は、本を通じて語り合い、交流する場である。そもそも収監中の囚人、つまり、社会的に不適合だとされた男たちに、果たして穏やかな「語り合い」ができ、違う意見を他人と共有できるのか。そもそも、本について、どんな表情で、どんなふうに会話を交わすのだろう。シチュエーションに引き込まれるところからして、ノンフィクションとしての魅力は全開だ。
著者のカナダ人ジャーナリスト、アン・ウォームズリーは、主宰者の友人から月一度の男子刑務所での読書会に誘われたとき、「絶対に無理」だと思った。薬物売買、銀行強盗、殺人、凶悪犯も収監されている刑務所への拒否感は、彼女自身がイギリスの路地で強盗に襲われ、命拾いした実体験を持っていたからだ。しかし、不安を好奇心が上回った。読者は、彼女と同じ目線でおずおずと刑務所の内部に入ってゆく。
課題本は、ノンフィクション、小説いろいろ。古典もあれば、新刊、歴史関連。障害、病気、自殺、差別をテーマにした本もある。読書会は非営利活動法人、無宗教が大前提で、指導や矯正が目的でもない。参加人数は、三十人近い場合もあれば、「読書会大使」と呼ぶ会の中心人物と一対一の面談をすることもある。いずれにせよ、彼らとの会話にはつねに本が介在する。
囚人たちの言葉に、はっとさせられる。例えば、殺人罪を犯して四年の刑に服すベン。
どの物語にも、それぞれきびしい状況が描かれてるから、それを読むと自分の人生が細かいところまではっきり見えてくる。
またはT・S・エリオット『賢者の旅』の詩を読み、旅が人生にもたらす意味について訊(き)かれたガストンはこう答える。彼は連続銀行強盗を働いた人物だ。
東方の三博士は、以前の生きかたがもう受け容れられないことを知ったんだよな。
受刑者たちは、ガストンの言葉を自身の人生と重ね合わせ、手厳しい教訓として聞く。
けっして饒舌(じようぜつ)ではないが、毎回の読書会でぽろり、ぽろり語られる武骨な言葉に輝きがある。それは、囚人という現実に、本を読む行為が深くコミットしているから。しかも、一冊を通読するのは、ともに読む仲間がいるからなのだった。
読者が惹(ひ)きつけられてやまないのは、言葉や行為に意味づけをせず、結論めいた視線をあてがわないからだろう。いい話ばかりではない。優れた読み手が出所後、強制送還されたり、再び塀のなかに戻る者もいる。しかし、二年間続いたきわめてユニークな場で、著者自身が少しずつ脱皮し、人間洞察の目を養ってゆく様子が初々しい。
本をめぐる、異色のノンフィクション。訳者自身も司書、日本語訳がまたとてもいい。