哲学者たちの生涯をたどり、哲学を抽出
一九三二、三三年頃、モンパルナスのカフェ「ベック・ド・ガーズ」で二十代の男女三人がアプリコットカクテルを飲みながら談笑していた。ジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーヴォワールは地方都市のリセで哲学を教えていた。もう一人はベルリン留学から戻ってきたばかりのレイモン・アロン。アロンはベルリンで学んだフッサールの現象学を説明しながら、サルトルに向かってこう言った。「もしきみが現象学者だったら、このカクテルを語ってそれを哲学にすることができるんだ!」。その言葉を聞いたサルトルは青ざめ、近くの書店に走っていってフッサールの教え子エマニュエル・レヴィナスが書いた『フッサール現象学の直観理論』のアンカット版を買い求めると歩きながら読み始めた。こんな風に本書はフランス実存主義誕生の瞬間をエピソード風に描き始めるが、しかし、彼らの思想がおろそかにされているわけではない。むしろ重視されているのは「思想」だ。ただし、それが伝記的に抽象化されてくるところが本書のミソである。
わたしは最初にサルトルとハイデッガーを読んだとき、哲学者の性格や生涯の細かな部分が重要だとは思っていなかった。(中略)概念にばかり気を取られて、それを生み出した人物が社会的な出来事とどう関わり、どんな経験をしたかには注意を払っていなかった。その人の人生などどうでもいい。大事なのは思想だ、と考えていたのである。それから三〇年がたった今、わたしはまったく逆の結論に達した。
ベルリン留学から帰ったサルトルはフッサールの影響下で『嘔吐』と『存在と無』にとりかかり、実存主義を創始していくが、では彼に着想を与えた現象学の開祖フッサールは本書でどのように描かれているのだろうか?
「フッサールによれば、一杯のコーヒーを現象学的に記述するには、抽象的な仮説も感覚的な連想も脇に置かなければならない。(中略)つまり、コーヒーとは“ほんとうは”なにかという余計な理屈を取り除き、目の前に立ちのぼる強い香りという現象だけが残るようにしたのである」。これがフッサールが「エポケー」と呼ぶ現象学的還元のことであるが、では現象学的還元のあとに残るのはなにかといえば、それは意識はつねに何かについての意識であるという「~について性」である。フッサールはこの「~について性」を「志向性」と呼んだが、この「志向性」から独自の哲学をつくりあげたのがサルトルだった。「一九三三年にベルリンでフッサールの著作を読んだサルトルは、その思想を大胆に解釈し、志向性と、その志向性によって意識が世界へ、世界のなかの事象へと投げ出される点を重要視した。サルトルからみれば、これはとてつもない自由を意識に与えることになる」
著者は現象学からサルトルがつくりだした実存主義を次のように定義する。
[現象学的に]経験をきちんと記述することで、実存主義者は実存を理解し、わたしたちがもっと本来的な人生を生きられるようにしたいと願っている」「人間であるわたしは、一瞬一瞬をみずから選んだ結果としての存在である。わたしは“自由”なのだ。
では、このように定義された実存主義をもっとも完璧に実現したのはサルトルかというと、著者はむしろメルロ=ポンティの名を挙げる。ボーヴォワールは若き日のメルロ=ポンティの捉えどころのなさには苛立ち、パートナーとしてサルトルを選んだし、著者も初読ではその哲学に魅力を感じなかったが、読み返してみるとメルロ=ポンティの哲学こそが現代を生きるための哲学となっていると悟る。
彼は、わたしたちが瞬間から瞬間へと生きていること、そしてそれこそが人間であることをあきらかにしてゆく。
だが、著者が最も高く評価するのは「自伝」にこだわったボーヴォワールだ。
ボーヴォワールは二十世紀でもっとも勤勉な現象学者であるだけでなく、自伝からは、もっともすぐれた知の記録者であったことがわかる。
ここ[自伝]には人の複雑さと、つねに変化していく世界の実体が描かれているし、実存主義者たちの群れ集うカフェがいかに情熱と活気にあふれていたかを教えてくれる。
こうした「伝記と思想の往還」のほか、本書には、ナチ政権下でフッサールの遺稿を弟子たちがベルギーのルーヴァン大学に運び入れるまでのサスペンスあふれる挿話もあるし、ハイデッガーのナチ加担の心理を彼が偏愛する暗い森の小道のイメージから分析する考察もある。
実存主義をアイリス・マードックにならって「人が棲みつく哲学」と捉え、その本質をサルトルらの伝記から抽出するのに成功した素晴らしいナラティブな実存主義哲学史である。