綿の悲しい歴史、膨大な資料で詳説
綿(コットン)なしの生活なんて考えられない。ぼくが大好きなジーンズもTシャツも靴下も綿。もちろんウールや化繊も着るけれど、肌触りの優しさやガンガン洗える気楽さは綿にかなわない。でも、綿ほど悲しい歴史を背負ったものはないのではないか。アメリカの歴史家が書いたこの本を読んでそう思わずにいられない。膨大な資料をもとに(原註(げんちゅう)だけで137ページもある)、綿と人間の歴史を詳述した大著である。
ワタの木は大昔から中米や南アジア、東アフリカに生えていた。5千年も前から、人びとは綿花から糸を紡ぎ、布を織った。ヨーロッパ人が知るのはずっと後のこと。亜麻か動物の毛でつくった服を着ていたヨーロッパ人は、柔らかな綿に触れて驚いたらしい。本書の扉には木の枝に羊がなっている絵が載っている。昔のヨーロッパ人が想像したワタの木だ。
ヨーロッパ人はたちまち綿に魅了された。でもヨーロッパでワタの木は育たない。綿をつくるには、適した土地、そして労働力が必要だ。彼らは新大陸アメリカに目をつけた。土地は先住民から強奪した。労働力はアフリカの人びとを拉致して奴隷として働かせた。
アメリカで収穫した綿花をイギリスに運んで糸にして布を織る。綿布は世界中に輸出される。国境を越えて生産と交易と消費が行われる。日本語版の副題は「グローバル資本主義はいかに生まれたか」。
先住民からの土地の収奪にしても、奴隷制にしても、そこでは必ず武装と暴力が伴っていた。抵抗する人びとは鞭(むち)打たれ、容赦なく殺された。著者はこのシステムを「戦争資本主義」と名づける。
戦争資本主義が産業資本主義の基盤になったのだと著者はいう。その典型が綿工場だ。かつて中米や南アジアで行われていた糸紡ぎは素朴なものだった。有名なガンジーの写真のように。ヨーロッパ人は畜力や水力を使って機械化した。やがて蒸気機関が登場して大量生産される。
アメリカで南北戦争が起き、奴隷制度はなくなる。だが綿の帝国の本質は変わらない。奴隷に代わって綿花を摘むのは賃金労働者。労働力以外に売るものを持たない人びとである。借金漬けで土地を奪われた農民も賃金労働者になった。紡績工場では女性や幼い子供が劣悪な状況で働かされた。労働者は暴力で支配され命を削られ、綿商人や紡績業者たちは富み栄えていった。
国家はその後ろ盾になったり、前面に出たりして、綿の帝国を支えた。植民地というものもそうだ。大日本帝国も遅ればせながら競争に参加して、朝鮮半島や中国大陸に植民地を持ったのだから、日本人にとっても他人事ではない。
第二次世界大戦が終わり、多くの植民地は解放された。奴隷制度もない。だが綿の帝国はいまも続く。ウズベキスタンでは政府が子供たちに綿花収穫の手伝いを強制している、と著者は指摘している。人件費の安いところでつくって世界で売るのは綿に限らない。スマホも然(しか)り。
綿の帝国の歴史を見ると、人権問題について「欧米は教師面するな」と反発する中国の気持ちはちょっとだけ分かる。だが、だからといって新疆ウイグルで起きていることを黙認してはいけない。今日ぼくが着ているTシャツは、どこの誰が綿花を摘んだのだろう。