書評
『岸和田だんじり祭 だんじり若頭日記』(晶文社)
半端押しのける、意気といたわりの街
この男、東京の書店でも買える関西の人気タウン誌の辣腕(らつわん)編集長にして、だんじり祭の元若頭である。一年中頭の中が「だんじり」だらけ。「だんじりでゆうたら……」という翻案で思考のすべてが回っている。なぜ命がけで4トン以上の地車(だんじり)をよってたかって曳(ひ)き回すのか、なぜ危険きわまりない十字路を全速力で曲がることに懸(か)けるのか。そんな問いは、祭の当日に仕事が休めなくて会社をやめる男もごろごろいるこの街では一蹴(いっしゅう)される。「人はパンのみにて生くるにあらず」がそのまま生きている街とでも言おうか。
だからほどほどが毛嫌いされる。「『責任をとる』ではなく『責任をまっとうする』というところに常に軸足を置かないと、何一つ前へ進まない」世界なのだ。
江の言い方だと、通知簿1と5の親友が毎日わいわいやかましくやっている街。カタログ情報をやたら気にして通知簿3ばかりで生きる人生に対して、1のやつは「さっぱりわからん」と言い、5は「おまえはアホか」で終わり。半端が押しのけられる。
そんな若頭たちの「寄り合い」も、だから半端ではない。だんじりを小屋から出して開く元旦の新年会に始まり、若頭の月例会、顔合わせの親睦(しんぼく)会、安全祈願祭、物故者の慰霊法要(明治時代から34名が命を落としている)、さらに勉強会、友誼(ゆうぎ)町との花交換会など、年中途切れずある。これらすべてに宴会がともなう。とにかくひっきりなしに「寄り合い」、その合間に仕事に行くという感じだ。
「遣」という語に惹(ひ)かれた。曲がり角での地車の「遣(や)り回し」、そして「お前らぁ、わかってんか」「しゃあないのお」といった荒々しい言葉で「気を遣(つか)う」年長者たち。意気と深いいたわりが言葉ににじむ。地車の組み立てにも、日頃のつきあいにも、「ひとつひとつに差し向かう」丁寧な心根が見える。
あくまで祭を軸に、会社や家族といった別の共同体でのそれぞれの生活の縁(ふち)を、そして生き方をさりげなく重ねあわす、そんな男たちの顛末(てんまつ)記。だから「だんじりでゆうたら……」なのだろう。
朝日新聞 2005年9月4日
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