書評
『東京の地霊(ゲニウス・ロキ)』(筑摩書房)
東京の十三ヵ所の土地の運、不運をゲニウス・ロキという概念を用いて読み解き、制度やヴィジョンの歴史ではない「生きられた都市」の歴史を語る。ある場所に姿形なく漂う精気のごときもの、土地に結びついた連想性や可能性をラテン語でゲニウス・ロキという。著者はあえてこれを「地霊」と訳す。
たとえば六本木林野庁跡地。ここは江戸時代南部遠江守邸であったが、明治以後、悲劇の皇女和宮の終のすみかとなり、のちに敗戦処理にひっぱり出された五十日の宰相東久邇宮邸となる。さらに林野庁の土地となったが、木材自由化の中で力を弱めた官庁のこの土地は、中曽根民活でまっ先に払い下げられた。どうやらこの土地は、歴史の重要場面に立ち会いながら、何かひとつ力の欠けたものと関係ある幸薄い土地なのではないか、と読む。
一方、上野といえば、江戸城の丑寅(うしとら)の鬼門を守るため、天海僧正が寛永寺を創建し、延暦寺、琵琶湖、竹生島、清水寺などの見立てを境内にちりばめることによって、江戸の精神的なへそとした土地である。まさにここに幕府瓦解のさい彰義隊が立て籠る。著者は彼らの死を犬死にとは見ていない。「誰かが一矢報いて、そのうえで江戸の町に区切りをつけなければならなかったろう」。さわやかな見方ではないか。
攻める側の大村益次郎もそれに敬意を払い、夜襲奇襲のケチな戦いは避け、限定戦を正面からいどんだ。三千人の彰義隊は「上野という場所の意味を、徳川の歴史のすべてを込めて振り返ってみせた」のである。
著者はここで三代目中村仲蔵の「手前味噌」を引く。山内に彰義隊士の死体が点々とある。山門は灰燼となる。しかし官軍の死体は一つもない。夜のうちに片付けたのであろう。「お手際といふべし」。これはまた、なんとあっさりして深い終戦の感慨であることか。こうした江戸の気分をつかみ出す手際はそれこそ見事である。欲をいえば江戸最北の岡、上野の山の軍事的意味や谷中の町や道の軍事的配置なども突っ込んで欲しかった。
さて、本書は目白の将軍山県有明や芝五秀六艶楼のあるじ郷誠之助、新宿御苑をつくった福羽逸人など、地霊を感受するパワーに満ちた人物が多く登場して飽きないが、中でも音羽の護国寺を「茶道化」した高橋箒庵に興味を魅かれる。五代将軍綱吉の生母桂昌院による幕府一建立の寺であるだけに、明治にはパトロンを失った護国寺は三条実美、山県有朋、山田顕義、大隈重信ら元勲の墓を迎えることによって生きのびる。
そして明治末、檀家総代となった財界人高橋箒庵は境内に、まるでサンプル展示みたいな石燈籠を寄進し、茶室を多数建設、移築し、ついに大茶人松平不昧公の墓まで持ってきて、護国寺を茶道のメッカにしてしまう。これはまさに新しい地霊をやどす一大文化プロジェクトであった。この章では、明治の国家神道と廃仏毀釈、遷都による東京の墓地不足まで筆が及べば、著者が考えあぐねた大隈重信の墓の鳥居の意味がはっきりしたのではなかろうか。
とはいえ、どの一章も一冊書いてほしいようなテーマであり、研究者がこれほどの資料をコンパクトに生きいきとした筆でまとめてくれたことを喜ぶべきだろう。地霊まで飛びだすとは東京論も来るところまで来た感があるが、この本の一番好きなところは、地霊を無視した昨今の開発への「なめたらいかんぜよ」といった警告が感じられることである。
【この書評が収録されている書籍】
たとえば六本木林野庁跡地。ここは江戸時代南部遠江守邸であったが、明治以後、悲劇の皇女和宮の終のすみかとなり、のちに敗戦処理にひっぱり出された五十日の宰相東久邇宮邸となる。さらに林野庁の土地となったが、木材自由化の中で力を弱めた官庁のこの土地は、中曽根民活でまっ先に払い下げられた。どうやらこの土地は、歴史の重要場面に立ち会いながら、何かひとつ力の欠けたものと関係ある幸薄い土地なのではないか、と読む。
一方、上野といえば、江戸城の丑寅(うしとら)の鬼門を守るため、天海僧正が寛永寺を創建し、延暦寺、琵琶湖、竹生島、清水寺などの見立てを境内にちりばめることによって、江戸の精神的なへそとした土地である。まさにここに幕府瓦解のさい彰義隊が立て籠る。著者は彼らの死を犬死にとは見ていない。「誰かが一矢報いて、そのうえで江戸の町に区切りをつけなければならなかったろう」。さわやかな見方ではないか。
攻める側の大村益次郎もそれに敬意を払い、夜襲奇襲のケチな戦いは避け、限定戦を正面からいどんだ。三千人の彰義隊は「上野という場所の意味を、徳川の歴史のすべてを込めて振り返ってみせた」のである。
著者はここで三代目中村仲蔵の「手前味噌」を引く。山内に彰義隊士の死体が点々とある。山門は灰燼となる。しかし官軍の死体は一つもない。夜のうちに片付けたのであろう。「お手際といふべし」。これはまた、なんとあっさりして深い終戦の感慨であることか。こうした江戸の気分をつかみ出す手際はそれこそ見事である。欲をいえば江戸最北の岡、上野の山の軍事的意味や谷中の町や道の軍事的配置なども突っ込んで欲しかった。
さて、本書は目白の将軍山県有明や芝五秀六艶楼のあるじ郷誠之助、新宿御苑をつくった福羽逸人など、地霊を感受するパワーに満ちた人物が多く登場して飽きないが、中でも音羽の護国寺を「茶道化」した高橋箒庵に興味を魅かれる。五代将軍綱吉の生母桂昌院による幕府一建立の寺であるだけに、明治にはパトロンを失った護国寺は三条実美、山県有朋、山田顕義、大隈重信ら元勲の墓を迎えることによって生きのびる。
そして明治末、檀家総代となった財界人高橋箒庵は境内に、まるでサンプル展示みたいな石燈籠を寄進し、茶室を多数建設、移築し、ついに大茶人松平不昧公の墓まで持ってきて、護国寺を茶道のメッカにしてしまう。これはまさに新しい地霊をやどす一大文化プロジェクトであった。この章では、明治の国家神道と廃仏毀釈、遷都による東京の墓地不足まで筆が及べば、著者が考えあぐねた大隈重信の墓の鳥居の意味がはっきりしたのではなかろうか。
とはいえ、どの一章も一冊書いてほしいようなテーマであり、研究者がこれほどの資料をコンパクトに生きいきとした筆でまとめてくれたことを喜ぶべきだろう。地霊まで飛びだすとは東京論も来るところまで来た感があるが、この本の一番好きなところは、地霊を無視した昨今の開発への「なめたらいかんぜよ」といった警告が感じられることである。
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