書評

『ロンドン―地主と都市デザイン』(筑摩書房)

  • 2020/06/06
ロンドン―地主と都市デザイン / 鈴木 博之
ロンドン―地主と都市デザイン
  • 著者:鈴木 博之
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:新書(206ページ)
  • 発売日:1996-01-00
  • ISBN-10:4480056572
  • ISBN-13:978-4480056573
内容紹介:
ロンドンは広大な土地を持つ地主たちにより、エステートごとに開発されてきた。公園やストリートの名前からは地主や開発に携わった人物が読み取れる。彼らはまとまった土地を全体として有効に活用する町づくりができる立場なのだ。ロンドンを散策しながらエステートと建築の由来を追い、特異な発展を遂げてきた巨大都市の形成史を知る。

二歩も三歩も踏み込んだ都市入門書

やっと出た。

東京、ロンドン、パリ、とか三都を並べるけれど、実は私たちはこれまで東京以外については何も知らないに等しかった。理由は簡単で、ロンドンをはじめとする欧米の主要都市についての具体的にして正確にして読みやすい入門書をこれまで持ち合わせなかったからだ。ナアニそんなもんなくったって歩けば分かる、と考える読者もいるだろうが、もちろん現象についてはそれでいい。しかし、たとえばなんである場所にそんな大聖堂が立っているのか、と一歩踏み込んだ理解をしようと思ったとたん、その都市についてのきちんとした入門書が欲しくなる。

これまで、ロンドンもパリもローマもベニスも、そう銘打った本は出されているが、例外なく歴史と地理と文化をパッチワーク状に貼り合わせたものか、観光ガイドブックで、パッチワークはその都市を歩くためには何の役にも立たないし、ガイドブックは歩くためにしか役に立たない。降り立つ前に読んでその都市のおおまかな姿形を知り、帰ってきてから読んでナルホドそういうことだったのか、と膝を打つような本を長年求めてきたが、このたびやっとロンドンについて入手できた(ALL REVIEWS事務局注:本書評執筆時期は1996年)。

たとえば市中でしばしば見かける謎の小公園について。ロンドンの中心部からちょっと脇に入ると、赤煉瓦の四、五階建ての集合住宅がビッシリ軒を連ねる静かな住宅地が現われ、ところどころくり抜いたように四角な広場(スクェアと言う)が広がり、中央にはきまって緑したたる公園が設けられているのだが、しかし通行人は入れないよう、高い鉄柵で囲まれ、入口には錠がかけられ、中では上品そうな少年が二、三人、青い芝の上でボールを蹴ったりしている。この奇妙な鍵付き公園について著者はていねいに説明してくれる。公園ではなくて私園であって、周囲の集合住宅の住人だけが鍵を持っているが、どうしてこんなことが許されているかというと、ロンドンの土地開発の長い歴史に由来する。宗教改革の時のことだそうだが、国王は教会の持つ土地を没収し、自らロンドンの大地主になるとともに、臣下に土地を下げ与えた。その後、都市開発にあたり、土地がまとまっていたおかげで、地主たちは、庭園利用権付きの良好な住宅街を作ることができたのである。王室や貴族をはじめとする大地主が、自分の土地をまとめて開発して町と通りを作り(日本の銀座に当たるリージェント・ストリートも王室が私的に開発し、地代を取った)、そうした通りのネットワークとして都市が成立したところに、政府主導のパリや東京とちがうロンドンの個性がある、と、こんなに明快で分かりやすい説明をこれまで聞いたことがあるだろうか。啖呵(たんか)を一つ。

都市は誰のものかと問えば、こたえはさまざまな角度から出せるだろう。けれども都市を私有財産として所有しているという点で考えれば、ロンドンの地主たちこそ、ロンドンのオーナーだと言いうるのである。

ロンドンを東京に置きかえるとどうなるか、などと考えながら、読者はページをめくる。土地につづき、その上に乗る施設についても面白い。たとえばイギリスの誇るクラブという謎の施設についての章から、

クラブの効用のひとつは手紙を書けることではないかと思う。クラブで手紙を書けばクラブの便箋が使えるからだ。むかし、ある英国の先生に手紙で問い合わせをしたら、リフォーム・クラブという、政治家などが会員に多いと聞いていた名門クラブの便箋に認(したた)めた走り書きの返事がきた。返事の内容よりも、この人はこのクラブの会員なのかという印象の方が強く残った記憶がある。これはいろいろに使える自己演出法ではないかと感じたわけだ。

日本の一流ホテルが、レターヘッド付きの立派な便箋を用意しているのも、あるいはロンドンのクラブに由来するのかもしれない、などと考えながら、読者はページをめくる。

施設の内容につづき、建物の具体的な姿についても面白い。たとえば、かの大英博物館の柱頭(ちゅうとう)飾りがイオニア式(左右に渦巻が付くヤツ)であるのは、この式は男性的なドリス式と女性的なコリント式の中間的な形とされており、博物館に集う学者や文化人のような中性的なヤツラにはちょうどお似合いだから、と選ばれたそうだ。ホントカナァ、と迷いつつ読者はページをめくる。

先に、降り立つ前に読んでうんぬん帰ってきてから読んでうんぬん、と評したけれど、最後までページをめくった読者は、たとえ行ったことがなくても、なんだかロンドンにしばらく住んでいたことのあるような気分になっている自分に驚かれるであろう。

【この書評が収録されている書籍】
建築探偵、本を伐る / 藤森 照信
建築探偵、本を伐る
  • 著者:藤森 照信
  • 出版社:晶文社
  • 装丁:単行本(313ページ)
  • 発売日:2001-02-10
  • ISBN-10:4794964765
  • ISBN-13:978-4794964762
内容紹介:
本の山に分け入る。自然科学の眼は、ドウス昌代、かわぐちかいじ、杉浦康平、末井昭、秋野不矩…をどう見つめるのだろうか。東大教授にして路上観察家が描く読書をめぐる冒険譚。

ALL REVIEWS経由で書籍を購入いただきますと、書評家に書籍購入価格の0.7~5.6%が還元されます。

ロンドン―地主と都市デザイン / 鈴木 博之
ロンドン―地主と都市デザイン
  • 著者:鈴木 博之
  • 出版社:筑摩書房
  • 装丁:新書(206ページ)
  • 発売日:1996-01-00
  • ISBN-10:4480056572
  • ISBN-13:978-4480056573
内容紹介:
ロンドンは広大な土地を持つ地主たちにより、エステートごとに開発されてきた。公園やストリートの名前からは地主や開発に携わった人物が読み取れる。彼らはまとまった土地を全体として有効に活用する町づくりができる立場なのだ。ロンドンを散策しながらエステートと建築の由来を追い、特異な発展を遂げてきた巨大都市の形成史を知る。

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 1996年2月26日

毎日新聞のニュース・情報サイト。事件や話題、経済や政治のニュース、スポーツや芸能、映画などのエンターテインメントの最新ニュースを掲載しています。

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