書評
『性と柔: 女子柔道史から問う』(河出書房新社)
揺れる日本柔道界の苦悩の源に迫る
苦しみは好著を生む。日本女子柔道の苦悩が、どこから生まれてきたのか。この本はその知的考察の書だ。苦悩の原因を、ひろい時間と空間から理性で考えられるのは人間に与えられた能力なのだと素直に感動した。これは稀有(けう)な著作だ。書いたのは、バルセロナ・オリンピックの女子柔道銀メダリスト。選手引退後、東大大学院に学び、スポーツ社会学の大学准教授になって、フランス語で論文を書き、歴史研究に打ち込んで、日本柔道が、なぜ、こうなってしまったのかを冷静に分析している。日本柔道はここ数年、揺れてきた。ご承知の通り、金と女の問題である。全日本柔道連盟はスポーツ振興基金助成金の不正受給が発覚。指導実態のない柔道指導者に助成金を受領させ「回収」。ヤミ金を作っていた。体罰もひどい。自分は体罰に耐えてここまできたと自負する指導者の中には、体罰を否定すると自分まで否定されると勘違いしている者も少なくないという。金メダリスト・内柴正人被告は女子柔道部員への準強姦罪に問われ、東京都柔道連盟会長・福田二朗氏(当時74歳)はエレベーター内で30代の女性選手を襲ったわいせつ行為を認めて辞任した。福田氏の問題で被害女性の相談をうけ告発に踏み切った著者は、男性柔道家から「なぜ今言ったんだ。おまえは柔道をつぶす気なのか」と電話で圧力をうける。著者は「先輩、あなたの娘さんが、会長からレイプされそうになったらどうしますか? 組織のために黙って泣き寝入りするのですか?」と、言い返す。すさまじい話が、本書には詰まっている。
本のカバー写真からして目からウロコである。世界中で日本女子柔道だけが黒帯がしめられない。白線の入った黒帯を強制されているという。これに象徴されるように、日本柔道は女子を半人前に扱ってきた。背後には、嘉納治五郎の呪縛があった。柔道の神・嘉納の「女子は試合禁止」の言葉は重く、日本国内では1970年代まで、女子柔道は「公式」には試合が行われなかった。百年近い試合の禁止である。著者はそのなかで講道館以外では行われていた女子柔道家の試合の秘密の歴史を丹念に追っている。
嘉納が女子に試合を禁じた背景には、筋力の弱い女子に試合で無理をしてケガを負わせない配慮があった。ところが、日本柔道界では同じく筋力に劣る子どもへの対策を怠ってきた。2011年までの29年間に、柔道で死亡した子どもは判明分だけで118名。他のスポーツより顕著に多い。ところがフランスでは子どもの柔道死はゼロ。柔道人口(連盟登録者)は日本20万人、フランス60万人なのに、である。フランスでは12歳以下の試合を禁止し、まず畳のうえでゴロゴロ転び、投げられる恐怖心を除くが、日本では、いきなり受け身を教えられるため、投げられる恐怖心に体がすくむ。高度な技能の教授に幼い体の受け身がついていかず、ケガをしている可能性があるという。ところが、日本は勝利至上主義。前述のような動物的不祥事を連発しながら子どもの安全よりも金メダルの獲得に資金投入を優先してきた。
「強者と強者だけの社会では反発し合う。強者と弱者、男と女、それぞれが支え合う意味を柔道は教えてくれる」と著者はいう。理性的な彼女の柔は柔道ムラの男の剛を制するのか。東京オリンピックにむけて、柔道を応援するわたしたちの側の見識も問われている。
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