書評
『ドバラダ門』(朝日新聞出版)
わが祖父は稀代の監獄建築家だった
〈五大監獄〉なるオドロオドロしい言葉がその筋には伝わっている。刑務所界と建築界の二つだけで通用する一種の業界用語で、明治政府が力こぶをグイグイ入れて建設したヨーロッパ式の五つの監獄(金沢、千葉、奈良、長崎、鹿児島)をさす。石と煉瓦を使ってまるでヨーロッパ中世のお城のように頑丈に作ってあるから、木造の網走監獄などは牢名主の前に引き出されたコソ泥ていどのもの。明治政府の意を受けてこの五大監獄を一人で建てた人物がいて、日本の建築史上"最初で最後の監獄建築家"と呼ばれているのだが、その人物が、「実はあなたのおじいさんなのですヨ」と、ある日突然分かったとしたら、皆さんならどうする。
四年前、そういう目に遇ったのがジャズピアニストの山下洋輔さんである。
そこで洋輔さんはどうしたかというと、司馬遼太郎兼筒井康隆と化してしまったのだ。鹿児島出身のご先祖さまの事跡を求め、家伝の古文書に当たり、鹿児島の郷土史をひもとき、そうして得られた史実を空間時間ハチャメチャ小説に仕立てあげ、このたび「説明はあえてしない。とにかく読みなさい」といって世間さまに差し出した。
蝶のように舞い蜂のように刺すボクサーはいたが、司馬遼太郎のように調べ、筒井康隆のように書く小説家はこれまでいただろうか。『翔ぶが如く』の内容を『ジャズ大名』風に書いたらいったいどんなことになるのか、その小説的効果は口にするのもはばかられるので「説明はあえてしない」。
史実だけをここに述べておくと、洋輔さんのじいさんの山下啓次郎が明治の早い時期に東京帝国大学の建築学科を卒業しながら、鹿鳴館や東京駅の方に進まず監獄の門をくぐったのは、ひとえに一族の歴史に背中をドンと突かれた結果だった。啓次郎の父の山下房親は、西郷隆盛にかわいがられたが、やがて西南戦争の折は警視庁の部隊を率いて西郷軍と闘い、銃弾によって片足を失い、戦後は東京で草創期の監獄の典獄(所長)となる。
また啓次郎の妻の父というのは西南戦争の直接的引き金になった、例の警視庁の二十三名の密偵の一人にほかならない。片足の刑務所長や警視庁の密偵が周囲を取りまく環境の中で育てば、監獄建築家の道もそう不思議ではなくなる。
司馬遼太郎の『翔ぶが如く』に次の一文がある。
この藩人事がおわったとき、戊辰戦争に小隊長として従軍した山下房親という老が、ある日西郷をたずねて、「川路どんが入っておりませんな」と、奇異に思った。奇異に思われるほどこの戊辰戦争終了の時点での川路の存在は大きかったのである。
洋輔さんがご先祖のことを調べはじめて『翔ぶが如く』を読み、いきなりこの一文に当たった時の驚きをこの小説の中で書いているが、司馬遼太郎もまさかただ一回だけ登場させた「山下房親という者」の直系の子孫が今も生きていてヒジ打ちでピアノを弾いているとは知らなかっただろう。
過去と現在、史実と空想、先祖と子孫がジャズピアノの上で出会った不思議な小説である。なお『ドバラダ門』とはドタバタ門の誤植ではなく、何語か知らないが監獄門の意味らしい。
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