書評

『もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために』(幻戯書房)

  • 2018/01/18
もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために / 加藤 典洋
もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために
  • 著者:加藤 典洋
  • 出版社:幻戯書房
  • 装丁:単行本(323ページ)
  • 発売日:2017-09-21
  • ISBN:4864881316

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内在する「革命思想」を受け止めよう

尊皇攘夷(じょうい)思想がなぜ「もうすぐやってくる」のか。それは歴史の節目の、格闘と後始末が不徹底だったから。維新のあとの明治という時代、また、敗戦のあとの昭和という時代が浅かったからだ。蓋(ふた)をして忘れたことにしても、危機が深刻になるとマグマのように噴出する。その日が近いという切迫した感覚が本書を満たしている。

キーパーソンは、福沢諭吉と吉本隆明。この二人を加藤氏はこれまでもよく論じてきた。

福沢諭吉は洋行し、幕末維新の尊皇攘夷と開国の対立を、その上位から眺める《世界的な視座を一部、手にしてい》た。そして旧幕臣の同僚、勝海舟、榎本武揚の出処進退を糾問する「瘠(やせ)我慢」の説を唱える。新政府は攘夷を切り捨てて開国へ舵(かじ)を切った。攘夷に斃(たお)れた者らを思う屈折が、福沢にはあったのだ。

吉本隆明は皇国少年で死を覚悟し、戦後に、論理がないと間違えると思い知った。現実世界を織りなす他者たちとの「関係の絶対性」に突き当たらない思想は無力だと。そして、戦後の虚妄を暴く転向論を著す。

福沢と吉本を補助線に加藤氏は、危機のたび現れる内在と関係の対立の大きな図柄を描く。

幕末、尊皇攘夷と開国が対立した。だが維新後、この大対立が忘れられ、国権/民権の小対立に置き換わった。戦後は、皇国思想が民主主義と自由に糾弾されて葬り去られ、大対立が成立する余地さえなかった。

皇国思想は、抑圧された尊皇攘夷思想の再来だった。ただし革命思想でなく、その《劣化コピー版》だ。戦後日本は再び、閉塞(へいそく)と劣化、絶望が深まっている。状況が厳しさを増すと、忘れたはずの過去が再来するだろう。《新たな尊皇攘夷思想がさらに劣化の度合いを進めたかたちでやってくる》と予期しなければならない。最近はびこるヘイトスピーチやプチ右翼は、その前兆ではないのか。

歴史の連続は、一八六八年と一九四五年の二箇所で途切れている。思想の対立を克服せず、単に抑圧しているからだ。加藤氏は、丸山眞男にも注目する。丸山は晩年、論文「闇斎学と闇斎学派」の執筆に苦闘した。難航したのは、《自分のなかの一八六八年の分断線を、越えようとし》たからかもしれない。

加藤氏は《三○○年のものさし、江戸の前期にまでたどる歴史感覚》を持とう、と言う。二○一八年はちょうど「明治一五○年」にあたる。戦後と明治が対置されるだろうが、「戦後も明治も」と考えるほうがよい。理不尽な外国の圧力に抵抗する内在の思想だった尊皇攘夷思想を、真正面から受け止めよう。この思想こそ、《日本の近世から封建制と身分制度を内から食い破る形で出てきた唯一の革命思想》だったのだから。

尊皇攘夷思想は、テロリズムに通じる狭隘(きょうあい)な愚直さを含む。でも、関係に突き当たって、開国に転じる柔軟な弾力をそなえてもいた。いま、ネーションとグローバリズムの矛盾した二層構造のあいだで進路に悩む日本の閉塞(へいそく)と、通じる部分がある。内在の思想にもう一度目を向けるのは、《柔軟性を失い、かつ現実の壁にぶつかってもいる戦後のリベラルな思想にとって、無益なことでは》なかろうと、加藤氏はしめくくる。

本書はほかに、鶴見俊輔との運命的な邂逅(かいこう)をつづるエッセイ「ヒト、人に会う」や、ヤスパースの論じた戦争と罪の問題を再考する小論「戦争体験と『破れ目』」など、切り込みの鋭い近作を収録している。長かった「戦後」という時代がやっと終わろうとしているのかもしれない、との予感が湧いてくる。
もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために / 加藤 典洋
もうすぐやってくる尊皇攘夷思想のために
  • 著者:加藤 典洋
  • 出版社:幻戯書房
  • 装丁:単行本(323ページ)
  • 発売日:2017-09-21
  • ISBN:4864881316

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初出メディア

毎日新聞

毎日新聞 2017年11月5日

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