書評
『運河の家 人殺し』(幻戯書房)
緊張感が快感に変わる「硬い小説」
ジョルジュ・シムノンといえば、メグレ警視のシリーズが世界的に有名だが、「硬い小説(ロマン・デュール)」と呼ぶ、おびただしい数の普通小説も書いていた。カミュの『異邦人』がしばしば引き合いに出される傑作『雪は汚れていた』や、二度も映画化された『仕立て屋の恋』など、本邦でもかなりの数の作品が紹介されているが、それでもまだ追いつかないほどだ。本書はその「硬い小説」群に属する、シムノン初期の二作品『運河の家』と『人殺し』を合わせて一冊にしたもので、いずれも本邦初訳である。比較的ゆったりとしたペースと雰囲気で物語が進むメグレ警視物に対して、「硬い小説」群のほうは重苦しい小説ばかりであり、読んでいるとその緊張感が不思議なことに快感になる。そういうわけで、わたしはまたシムノンの普通小説に手を伸ばしてしまう。
『人殺し』は、妻が不倫をしているという事実を知った男が、妻とその不倫相手を拳銃で撃ち殺し、二人の死体を運河に投げ込むという、実にありふれたシチュエーションで始まる。推理小説なら、殺人は誰がどうして殺したのかといったような、謎をはらんだ重大な出来事だろうが、シムノンの『人殺し』では、物語のほとんど発端にすぎず、力点はむしろその後のなりゆきに置かれていると言ってもかまわない。
中年男が、ある出来事をきっかけにして、次第に身の破滅へと追い込まれていく。これはシムノンの普通小説の典型的なパターンの一つであり、『人殺し』はそういう意味でシムノンの小説世界を初めて知る読者にも絶好の見本になるだろう。「人殺し」と子供たちから後ろ指をさされることになる主人公の末路を描いた冷酷な最終章は、きっと読者を戦慄させるに違いない。
『運河の家』も、『人殺し』と同じくオランダを舞台にしていて、それよりもさらに土地の匂いがしみついた物語である。主人公は、シムノンの小説にしては珍しく女性で、両親が亡くなり孤児になった十六歳のエドメという娘が親戚の大家族にあずけられるが、そこの長男と次男は、それぞれに違ったかたちで彼女に翻弄されていく。彼ら三人が迎える悲劇的な結末は、この運命論的な小説世界の中では、どうしても避けようのないものだ。
『運河の家』と『人殺し』に共通しているのは、視点をほぼ主人公に固定する手法によって、対象となる人間をつかまえるシムノンのグリップの強さである。さらには、主人公がはっきりと意識することなく抱いている、社会規範からの逸脱の衝動、そして自己破壊の衝動であり、それが物語を破局へと導く要因になる。ここでは、人と人がお互いにわかりあうことはない。自分の考えていることすらわからない人間が、他人の考えていることを理解できるわけがない。その意味で、シムノンの小説世界において本能のままに生きる動物のような人間たちは、孤独でもあり、圧倒的な多産を誇った作家シムノンの観察眼をたえず魅了しつづけたのは、そういう孤独な人々であったはずだ。
暗い灰色に彩られたシムノンの小説世界に読者が引き寄せられるのは、まるでわたしたちが作者シムノンの鋭い目に見つめられているような、そんな気がするからなのかもしれない。
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