後書き
『本棚からボタ餅』(中央公論新社)
あとがきにかえて――読書の「うまみ」(単行本版あとがき)
タナボタ、と日本人の好きな四文字に略されることまであるように、「棚からボタ餅」は広く愛用される諺である。労せずして幸運が転がり込んでくるなんて、これ以上ないうまい話であり、万人にとっての(?)理想だからだろう。読書のことに話を移せば、私は本に対するはっきりしたテイストが、出来上がっていない人間なので、思いつきや、たまたま、といった動機で読む。話題らしいから、とか、人につられて、といった、自主性にはなはだ欠けるきっかけからも。
が、それでも何かしら「へーえ」と思うところはあるものだ。著者がしゃかりきになってかいているのと全然関係ないところでだったり、中心的なテーマはたいしてピンとこなかった場合でも。読むことにともなう「おまけ」部分と言おうか。
なんだか得したような気分で、味わいは格別である、
これからも本棚の下で寝そべって、ページをめくりながら、ボタ餅が落っこちてくるのを待ちたい。
二〇〇一年夏 岸本葉子
文庫版あとがき
やっぱり本棚には、ボタ餅が詰まっていた。右(事務局注:上)の一文を書いてから、二年余が過ぎた私の実感だ。
ご存じの方も少なくないと思うので、隠さないが、この単行本を刊行後間もなく、私はがんを患った。そのとき告知を受けた医師は、前に読んでいた本の著者だった。どこかで手術しなければならなくなったとき、記憶の本棚から、ふっと題名を思い出し、
「あの本の著者なら、患者の立場で、相談に乗ってくれるに違いない」
と、ひらめいたのだ。その名も『医者が癌にかかったとき』(竹中文良著・文藝春秋)。ぴったりでしょう?
結果、本書の見出しにもあるように、「がん患者となった」わけだが、そこでも、過去に目を通した数々の本から、得るところがあった。
例えば、ひと頃よく読んだ、闘病記。まさか自分ががんになるとは思わなかったけれど、それだけに、
「人は健康が、所与の条件ではなくなったとき、何を思い、どう行動するのだろう」という関心を抱いたのだ。当事者となってからは、
「闘病記にはよく、これこれこうだとあったけれど、それに対して、私はどうか」
と無意識に比較対照していた。それが、自分の心の動きを客観視でき、パニックに陥らずにすむという、思わぬ副次効果をもたらしたのである。まさに右(ALL REVIEWS事務局注:右→上)の稿に言う「おまけ」ですね。
闘病記だけでなく、他のジャンルの本も、突然記憶の中からよみがえって、何かを私にもたらしてくれる、ということが多かった。本書のタイトルはよかったと、改めて悦に入っている次第である。これも棚ボタ?
命拾いしたのを幸い、これからもいろいろな本の味わいを、かみしめていきたい。
二〇〇四年初春 岸本葉子
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