書評
『明日は舞踏会』(中央公論新社)
玉の輿も楽じゃない
舞踏会。わくわくする響きではありませんか。私たちのほとんどは、舞踏会なんて出たことがない、いえ、一生、ファーストステップを踏み出さずに終わるでしょうが、イメージはしっかりと頭の中にでき上がっている。
ドレスの裾をつまんで、馬車を降りれば、まばゆいばかりの玄関ホール。滑り台ほどもある手すり付きの階段が、広間へと導く。そこでは、どんな女性も、魔法をかけられたように美しく生まれ変わることができ、すてきな男性との出会いが待っている。その人は実は大金持ちで、すっ転んで脱げた靴の片割れをよすがに、いつか私を迎えにこないとも限らない。
そう、一夜の夢であるだけでなく、あわよくば人生変わる。そうした下心を含めて、心が躍る響きなのです。
子どもの頃読んだ、シンデレラのお話のせいですね。そして、いつまでも理解がその範囲を出ない。
ならば、十九世紀パリのほんものの舞踏会を覗き見させてあげましょうというのが、『明日は舞踏会』(鹿島茂著・中公文庫)です。案内役はフランスの風俗といえば、この人、鹿島茂さんと、バルザックの『二人の若妻の手記』の主人公ルイーズ。
このルイーズが、修道院時代の友、ルネに宛てた報告が、まことに微に入り細をうがっている。さながら社交界実況中継。これほどしつこく羨ましがらせても、友情はとぎれなかったのですから、修道院で育まれた絆は、固いものなのですね。
修道院から家に戻ったルイーズが、まず驚いたのは、社交界の女王たる母親の忙しさでした。舞踏会、夜会、音楽会、お芝居と、夜中の二時、どうかすると四時、五時まで、慌ただしく駆けずり回る。
こんなハードスケジュールなら、昼間は死んだように寝ていたい。でも、そんな暇はありません。お化粧とドレスアップに一、二時間はかかるし、何よりも午後の散策がある。この散策、娘が修道院から八年ぶりに帰ってくる日も、娘そっちのけで出かけたほど、貴婦人にとっては欠かせぬ日課です。なんでそんなに重要なのかも、本書にとくと説明されておりますが。
しかも、その合間を縫って、若い男と逢引もしなければならないし。体力がなければ勤まりません。
この母親に仕込まれて、ルイーズは一人前のレディになっていくのです。
「メイキング・オブ・レディ」のプロセスも、本書には事こまかに描かれます。まずは、コルセットによる人体改造。膨らんだバスト、くびれたウエスト、突き出たヒップをよしとするモードの規範に、おのが身を合わせます。このコルセット、女性の健康を害すること甚だしく、最初の出産後ですでに「生存率」が六十パーセントいくかいかないかという、過酷な代物。そのつらさたるや、現代のボディスーツの比ではありません。
それでもルイーズは、耐え難きを耐え、忍び難きを忍びます。なぜって、憧れの社交界にデビューするためには、避けて通ることのできない儀式ですから。
仕立屋、靴屋、手袋屋が、次々と寸法を取りにきます。既婚女性の方が、下着のおしゃれに気を配ったとは、リアルですね。何のためかは明白です。誰が夫になぞ見せましょう。
ルイーズはれっきとした未婚女性ですから、もっぱら人目にふれる部分に、磨きをかけます。髪を結いドレスを着けて靴を履き、頭のてっぺんからつま先まで装束を整え、いざ出陣。
本書では、舞踏会に臨む前に、シャン・ゼリゼでの小手調べが出てきますね。気ままな散策とは表向き、内実は「自分がいかに金持ちでエレガントで美しいかを男たちに見せつけること」であり、ルイーズのような新参者には、おのれの美の等級を確かめる場でもありました。
男と女の交す眼差しもさることながら、私などは、女どうしの視線のバトルに、想像がいってしまいます。今日でもブランド品で飾り立てたどうしは、すれ違いざまはっしと視線を投げ合って、勝ち負けを瞬時に見定めるといいますが、しょせんはミエの張り合い。ルイーズたちの動機は、実利そのもの、いきおい、真剣勝負にならざるを得ない。
そう、きらびやかなイメージとは裏腹に、社交界は熾烈な競争社会。男も女も「家柄」「財産」「若さ」「美貌」の四つの分野の持ち点制度で、競います。本書で説明されているように、自分だけでなく、家族の将来がかかっています。ゲームと呼ぶには、賞金とリスクがあまりに大きい。
「ありのままの自分でいれば、いつか誰かが見出してくれる」といった、現代日本の女の子が好きなサクセスへの図式は、そこでは通用しません。性格のかわいさなんぞ、ポイントにもならない。持ち点ゼロの人は参加資格すらないことは、言うまでもありません。
それにしても、聞きしにまさるあからさまな世界です。劇場の席の位置まで、家柄の優劣、力関係が決するなんて。ボックス席でも舞台袖と正面左右とでは、意味が全然違うんですね。
私はもともと気が短く、長い長い十九世紀小説にはイライラし、ストーリーに関係なさそうな描写がえんえん続くと、
「結論を早く言え、結論を!」
とあおりたくなるのですが、読みとばしがちな細部にこそ、登場人物の心理や、物語を展開させる動機づけが、ちりばめられていると知りました。
持ち点の四分野のうち、「家柄」「財産」「若さ」は、努力ではいかんともしがたい。なので、残る一つの「美貌」に力を注ぎます。母親としたら、結婚市場における娘の商品価値を高めるためだから、必死です。コルセットで胴をぎゅうぎゅう締め上げるという、拷問ばりのこともいといません。十九世紀版ステージママです。
考えてみれば、ルイーズのママは、出産後も六十パーセントの生存率をくぐり抜け、娘が年頃になるまで生き延びて、今なお社交界に君臨し、現役で恋もしているという、頑強な体の持ち主です。少数精鋭組なのです。
当然、娘にも同じかそれ以上のことを期待します。父母の一致した望みは、「持参金なしでも嫁にもらいたいと申し出るような相手があらわれてくるように、社交界で魅力をふりまくこと」。
これは処女には難題です。詰めの段階となれば、男の気をひきつつ、焦らせ、少しでも有利な条件を引き出すという、クロウト並みの手練手管を用いなければならないのですから。
われらがヒロイン、ルイーズは、その要求によく応えました。一連の経過を見てきて思うのは、
「玉の輿に乗るのも、楽じゃない」
ということ。いつの時代も、棚ボタ式に転がり込んでくる幸せなんてあり得ない、と。
でも、乗ってしまえばこっちのものです。ばら色の人生が約束されます。持参金なしですんだばかりか、うまいこと夫が早く死ねば、莫大な遺産がわがものになる。それを思えば、舞踏会にかける投資も何のそのです。
むろん、貴婦人のならいで、夫がいようが、男はつくりたい放題。結婚後の恋愛は、今ふうに言えば「頑張った自分へのご褒美」ですね。くれぐれも注意すべきは、愛し過ぎないことです。苦労して勝ち取った幸せが、台なしになってしまいます。
どうでした? 十九世紀の貴婦人の一生は。羨ましいところもあるけれど、なかなかにたいへんでしょう。
皆さんはどちらの生き方を選びますか、なんて質問は、しないでおきます。うら若き乙女をかくも輝かせ、また翻弄した、華麗にして罪深い装置は、今はもうないのですから。
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