解説

『独楽園』(ウェッジ)

  • 2017/07/03
独楽園  / 薄田 泣菫
独楽園
  • 著者:薄田 泣菫
  • 出版社:ウェッジ
  • 装丁:文庫(233ページ)
  • 発売日:2009-12-21
  • ISBN-10:4863100620
  • ISBN-13:978-4863100626
内容紹介:
詩集『白羊宮』などで象徴派詩人として明治詩壇に一時代を劃した薄田泣菫は、大阪毎日新聞に勤めてコラム「茶話」を連載し、好評を博する。人事に材を得た人間観察から、やがて自然や小動物を対象にした静謐な心境随筆へと歩をすすめ、独自の境地を切り拓いた。本書は泣菫随筆の絶顛であり、心しずかに繙くとき、生あるものへの慈しみと読書の愉悦とに心ゆくまで浸るにちがいない。
一九一七年頃からしだいに、泣菫は手の不自由を感じるやうになる。医師の診断は書痙だつたが、じつはパーキンソン病であり、症状は日増しにひどくなる一方だつた。山野博史による『泣菫随筆』のすばらしい解題にも引用された長男薄田桂の回想をここにても抜き書きしておきたい。

父は不運にも、四十歳すぎからパーキンソン氏病になり、手足がだんだん不自由になった。(略)五十歳過ぎには、まぶたやあごの神経もマヒしてしまった。(略)そういうけいれんとの戦いの中で、本を読み、黙想し、随筆を書き続けた。(略)口がうまく動かないので、ずいぶん聞きづらい。(略)なんども聞き返しながら筆記していく。訂正削除も口述で行なう。何行ほどあとがえりして、どのあたりに○○という字があるのを△△という字に変えてくれ、などとモグモグしゃべる。これを何度も何度もくりかえす。父の晩年の随筆数冊は、このようにしてうまれた。(「明治文学全集58」月報。一九六七年。筑摩書房)

 本書に収められた一篇一篇はまさに、勢ひを増す病魔と闘ひながら、必死の家族の「愛と奉仕」(松村緑の名著『薄田泣菫考』——一九七七年。教育出版センター——の言葉)に支へられつつ、一滴づつ絞り出されたいのちの滴といふほかないものである。『茶話』が和漢洋にわたる広汎な読書をもとに、鋭くかつ温かい人間観察から生まれた名コラム集成だとすれば、『太陽は草の香がする』以降は、自然の風物を対象に「心の消息を洩らすやうな性質のもの」(同)を中心に据ゑた「まことにすぐれた心境随筆」(松村緑が紹介してゐる生田春月による泣菫随筆評)の色合ひが濃くなつてくる。それは『艸木虫魚』『大地讃頌』『人と鳥虫』といつた書名にも表れてゐるが、泣菫が病気の苦痛を堪へ忍んで口述筆記させた随筆の数々は、厳しい内省や人生観の深化といふことからしても、さらには「深く沈潜して来た当時の著者の心境の所産」(松村緑)といふ点からしても他に類がないほど清澄な世界を形作つてゐるだらう。陸続として刊行された、とても病者の作物とは思はれない泣菫後期のさうした名随筆集のなかにあつて、これだけ書名からして他から独立してゐるやうに見える『独楽園』はどういふ意味合ひをもつてゐるのか。

『獨楽園』初版(一九三四)は「名越國三郎が蘭の花を描いた淡黄色の高雅な布表紙」で、「特に本文は赤色枠附きの二度刷りになつて、上質の用紙が一段と光彩を放つてゐる」「四六判仕立の美本」(松村緑)であつた。内容から云ふなら、一段と鮮明になつた「魂に沁み透る孤寂」(「秋の小天使」)の境地である。孤寂は静謐と切り離すことはできない。かそけき虫の音が耳を通じて心に響くのはまさに閑寂あればこそ。他に増して本書では「静けさ」なるものへの言及がなされてゐるやうな気がする。それを示す文章はいくつもあるのだが、たとへばこんな一節。
 
私達の魂の故郷は静寂の国である。魂の孕むすべての美しいものは、この寂しさから生れ出て来るのだ。それはちやうど小鳥が自分の古巣を深山の密樹の枝に結び、鰻が自分の誕生地を名も知られぬ深海の水底におくのと同じやうなものだ。私達の魂がひとり空堂に安居(あんご)して、思惟の三昧に耽るとか、または宇宙の霊や艸木の精と黙語点頭するとかいつたやうな、何かしら秘密なものを羽含まうとする場合には、静寂こそはなくてならない唯一のものなのだ。思惟する人は絶えず静寂に酔ふ。その魂はいつも壺中の醍醐味によつて養はれてゐるからだ。(「静寂と雑音」)

 「静けさ」を求める思ひの強さは、必然的に『独楽園』のもうひとつの顔を明らかにする。それは他と孤絶したひとりだけの世界——すなはち壺中——の「醍醐味」の称揚である。泣菫にとつて「独楽園」とは、まさしく「壺中天」の別名だつたと云つてもよい。病気のため、ほとんど外出はできない。自然と云つて、目に見え、耳に聞こえ、肌で感じることのできるのは庭かせいぜい近所にある艸木であり、吹き来たる風であり、鳥の声であり、空をすぎゆく雲であり、到来物の白魚であり、御所柿であり、山独活(うど)である。かういふとき私は、かつて岡倉天心がプリヤンバダ・デーヴィーに送つた英文の手紙の一節「一滴の水、蓮の葉をころがる真珠のような一滴の露には、大海そのものと同じ高遠で普遍的な理想の大海が含まれないとでもおっしゃるのですか」(大岡信訳)を思ひ出す。たとへ身近な自然にしか触れ得なくても、泣菫が語つてゐるのは壺中に無限に広がる普遍的な自然の秘密であり、宇宙の神秘にほかならない。時空を越えた壺中なればこそ、「不自由な肉体に拘束せられた著者の魂が、白鶴に乗じて虚空を飛行する仙人の自在の姿に暫し同化する」(松村緑)のであり、いにしへの著者の言葉も今のものとして重なり合ふのである。たとへば、「歌を返せ」で語られてゐる「蓑虫」は、ごく自然に『風俗文選』収録の山口素堂「蓑虫説」を通じて一気に『枕草子』第四十三段に結びつく。引用ないし、過去の作品との響き合ひはそれ自体が読書に明け暮れた泣菫の過去のゆたかな時間を濃密に感じさせ、現実世界の病者である泣菫をはるか高みへと誘(いざな)ふ。過去の記憶。それは今のいま病苦に苦しむ泣菫を、幻想の力で救ひ出すだらう。
 
水のやうに冷つこい薄明りがそこらに淀み流れかかつて来た。と思ふと、私の心のなかにも、燐光のやうな明りがすつとさして来た。青白いその薄明りのなかに、幾本かの青竹が、琅玕のやうな滑かなつめたい肌をして、行儀よく真直に立つてゐる。

今私の目の前に浮き出してゐる植込の中には、竹はどこにも見あたらない。してみると、それは以前どこかで私が目に触れたことのあるもので、その後、いつとはなしに私の心に移り棲んで、折にふれ、時にふれて、その幹を殖やし、枝葉を広げて、その生活を営んでゐるものに相違なかつた。(「多羅葉樹」)

 ここに描かれた記憶の力は私たちが皆持つてゐたはずのものである。「現実」といふ言葉がいまや危殆に瀕してゐるのは、そこに過去の記憶も幻想もすべて内包されてゐることを私たちがあつさり忘れ果ててゐるからではないのか。人は狭義の現在時だけで生きてゐるのではない。にもかかはらず、現代はやかましい雑音のなかで、本来私たちの生を限りなく充実させるはずの記憶を消し去り、無量の宝庫たる過去を葬り、「見ぬ世の人」を友とするといふよろこびを益体(やくたい)もないとして遠ざけてゐる時代である。

私がほとんど三十年来愛誦してきた泣菫二十四歳のときの文章がある。一九〇一年六月、「明星」に載つた「回想記」の一節だが、これを刊行間もない松村緑著『薄田泣菫考』で知つたとき、あまりに心打たれてすぐに覚えてしまつたほどだ。

過去は静かなり。譬へば、山の間(あひ)に隠れたる精舎の如し、わが思慮(おもひ)これに踏入りて偶々洩れくる『記憶』の光りに自らの影を認め、其欠ざる事仏龕(みづし)に蔵められたる仏像(みほとけ)に似たるものあるに驚く。

昔日(むかし)、惑ひき、煩ひき、夢みき、饑ゑき、陥りき、其日まことに悲しかりけり。しかも追懐(おもひで)の今日、心酔ふに足る幻影の永久(とは)に消えざる事実として明らかにまながひに展(てん)ずるを見る。意味(こころ)あらずや。

吾世(わがよ)は朽ちざるべし。

人は荷を負ひて帝郷(さと)にかへるの駒なり。従はざれば鞭うたる。嘗て三夜泣きつづきて眠る能はず、果(はて)は刃(やいば)を探りて死を願ひし事有りしが、今にして思へば罪負(おほ)せらるべかりしよ。

貴いかな、吾は活(い)きぬ、考へざるべからず。

 二十四歳の泣菫にはすでに、現在を支へるかうした静かなる過去の姿が見えてゐた。泣菫五十六歳のときに刊行された『独楽園』は他の随筆集以上に、若き日の泣菫と直接的に結びついてゐたのだ。

方丈のやうでありながら無限の自然と結びついた庭や周囲の自然、小動物、読書の記憶、静寂へのつよい思ひ、消え入りさうな存在や音に対する愛惜、人生に対する穏やかでゐて厳しくもある観想、現在を支へる過去からの光、松村緑の云ふ「著しい蒼古の趣」——それらすべてが渾然一体となつて、みごとな文体で読者に訴へかけてくる書物。再読するたびに心洗はれ、読書のよろこびに浸ることのできる随筆集。それが『独楽園』である。本書を手に取つた読者の方々は、泣菫随筆の魅力をいま新たに発見なさることだらう。これを機に他の随筆集も覆刻ないし文庫化されることを、かねてからの愛読者のひとりとして心より願はずにはゐられない。本来、読書とは実用とは無縁の、精神世界の自在な旅であつたことを、私たちは『独楽園』をはじめとする泣菫の随筆を読んで改めて痛感するはずである。近代文学にあつて、かほどに豊潤な随筆も珍しいのではなからうか。
独楽園  / 薄田 泣菫
独楽園
  • 著者:薄田 泣菫
  • 出版社:ウェッジ
  • 装丁:文庫(233ページ)
  • 発売日:2009-12-21
  • ISBN-10:4863100620
  • ISBN-13:978-4863100626
内容紹介:
詩集『白羊宮』などで象徴派詩人として明治詩壇に一時代を劃した薄田泣菫は、大阪毎日新聞に勤めてコラム「茶話」を連載し、好評を博する。人事に材を得た人間観察から、やがて自然や小動物を対象にした静謐な心境随筆へと歩をすすめ、独自の境地を切り拓いた。本書は泣菫随筆の絶顛であり、心しずかに繙くとき、生あるものへの慈しみと読書の愉悦とに心ゆくまで浸るにちがいない。

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